~ Report One ~
フェスティバル始まる
1999年5月18日
1ヶ月にわたるオーストラリア取材旅行先に家内より8ページにわたるファックスが転送されてきた。「Yothu Yindi Foundation主催、Garma Festival」と題されたそのファックスはまさしく、当倶楽部宛の招待状だった。
Garma Festivalはあのロックバンド、ヨス・インディの設立した基金が、Yolnguの伝統文化を基金の招待した関係者にのみ紹介する初のフェスティバルで、7月12日~17日の1週間、アーネムランドのGulkulaと呼ばれる場所で行われる。
今回の取材旅行のわずか2ヶ月後、ということで行くのは難しいかなと思ったが「どうしても行ってみたい」という気持ちが大きくなり、気が付いたら日本の旅行会社に国際電話をかけ、航空券の予約をしていた。いつも「思い立ったら吉日」である。
1999年5月19日
この日、メルボルンからシドニーへ向かう飛行機の中でこのフェスティバルの案内状をよく見る。するとこの基金の事務局がシドニーにあることに気づく。「これは行ってみるしかない。」またまた思い立ったら・・・である。空港から電話をするとWayneという男性が快く応対してくれて、空港から直接事務局へ駆けつける。他の事務所内に間借りしている小さな事務所で参加申し込みの手続きをし、Wayneとフェスティバルでの再会を約束。
1999年7 月14日
帰国後約2ヶ月間、毎日このフェスティバルのことばかり考えていた。そしてついに日本を出発。フェスティバルには16日から参加し、最終日の17日のYirrnga Music Development Centreのオープニングレセプションとヨス・インディ・ライブに参加することにした。
1999年7月15日
ケアンズ到着後いよいよフェスティバルの窓口である、Nhulunbuy (Gove)へ向かう飛行機に乗り込む。早朝にケアンズに到着し夕方まで待ったためか、異常な程に眠気がおそう。約2時間のフライトはあっという間だった。
夜Nhulunbuyに到着するとWayneが迎えに来ていたのでちょっと安心する。そのまま車でフェスティバル会場へ。
真っ暗な道を30分ほど走ったところで、ブッシュの向こうから車のライトが見えた。広いグランドの端に、仮設のテントが見える。どうやらフェスティバルの事務局があるようだ。車はその事務局の前で止まり、寝袋やテントを借りる。すでに沢山のテントが張られているブッシュの中に自分たちのテントを張り、その日はすぐに眠りについた。いよいよ明日から待ちに待ったフェスティバルである。
1999年7月16日
7:30am起床。やや昨日の長旅の疲れが残っている。しかし、朝食が支給される場所へ行き、トーストと目玉焼き、ソーセージ、ベーコンというオーストラリアらしい食事を平らげると元気が出てきた。
8:30amフェスティバルといっても、途中参加の私たちにとって一体、どこで何が行われているのかさっぱりわからない。一番の目的であるYidaki Master Class(イダキとは彼らの言葉でディジュリドゥのこと。アボリジニのイダキ奏者から直接習うことができる何ともおいしいクラス)の時間を確認するがやっぱり良くわからなかった。ただ9:00amから女性用の大型テントで海亀のセミナーがあると言うことだけはわかった。それまで時間があったのでフェスティバルの会場を散歩する。会場といってもただだだっ広いグランドがあり、いくつかのあずま屋が仮設されているだけのシンプルなもので、中央に飾られた黄色いポール状のオブジェクトだけがフェスティバルの雰囲気を醸し出していた。
9:00amあずま屋の下で座っていると、グランドの向こう側からアボリジニの歌声が聞こえてくる。同時に数十人のアボリジニ男性が槍を頭に掲げて出てきた。その瞬間、「ああ、フェスティバルに来たんだ」そう初めて実感できた。
男性たちはしばらくすると森の中に消えていった。それでも歌声だけはいつまでも響き渡っていた。(この時、スタッフから写真撮影は禁止、と何度も念を押された。)
9:40am海亀のセミナーが始まる。このセミナーではじめてヨング族が海亀の生態を調査していることを知る。セミナーではビデオの上映もあったが、英語であったためあまり理解できなかった。
セミナーも終盤に入ると、グランドの方からイダキのサウンドが聞こえてきた。「なんだ!イダキ・マスタークラスが始まってしまったじゃないか!」
9:50am海亀のセミナーも終わり、駆け足でグランドへ向かう。手前のあずま屋の下では数人がイダキを吹いている。その中央には白髪の髭を蓄えたアボリジニ男性(以下、先生と呼ぶ)がいる。近くによるとその男性は微笑んで手を振った。イダキを吹いていた白人男性に声をかけ、参加してもいいか?と尋ねた。すると、「さあ?」という表情をして、「デビッドに聞いてみな」とトラックからイダキを降ろしている男性を指して言った。早速デビッドに昨晩到着して今日のクラスに参加したい、と話すと、快く了解してくれた。前日にケアンズで買ったぴかぴかのイダキを取りに行き、あずま屋の下へ戻ると、そこには真っ黒に塗られたイダキが約10本ほど転がっていた。どれも喉から手が出る程、すばらしいディジュたちだ。周りにいたアボリジニたちは私のぴかぴかのディジュを見てひそひそと話を始めた。アーネムランドのディジュリドゥと形、ペイントが違うためか興味を示したようだ。クラスには7~8名が参加していた。とりあえず皆思い思いに吹いていると先生が止めるようにジェスチャーで指示した。すると突然一番遠くにいた私を指差し、演奏するように言ったのだ。
「一体何をどう演奏すればいいのだろう?」そう思ったがとりあえず自分の得意なリズムを演奏してみる。すると先生はクラップを叩き始める。周りにいた白人もアボリジニも皆私に注目する。1分程度で止めると皆拍手喝采。ちょっと嬉しかった。しかしその自信はその後見事に打ち砕かれていく。次々と他の生徒が演奏する。みなめちゃくちゃ上手いじゃないか!しかもまさにアーネムランド・トラディショナル・スタイル!冗談じゃない!自分の演奏なんて足下にも及ばない。さらに悪いことに、一通り全員が演奏するとそばで遊んでいた白人の少年が私を指さし「この人が一番だね」なんて言うもんだから、穴があったら入りたい気分だった。
その後先生はトラディショナル系の音の出し方を身振り手振りで教えてくれた。
そのとき近くにアボリジニの男性が2人立っているのに気づく。「・・・!」そこにはあのYothu YindiのヴォーカルMandawuy Yunupinguがこちらを見ていたのだ。そんなとき、よりによって先生がまた私を指さして演奏するように指示したのだ。「ええい!どうにでもなれ!」とりあえず1曲披露する。演奏している間、誰かが彼に自分たちのことを説明している。演奏し終わるとアボリジニの女性が大きな声で喜んでいる。彼も喜んでいる。それでもまだ自信がもてない。まだまだ上手くなりたいと思った。
ふと後ろを見るとアボリジニの少年が2人、私のイダキをじっと見ている。どうやら吹きたいようだ。私は彼らにぴかぴかのイダキを差し出すと2人は奪い合うようにイダキに口を近づける。「!!」言葉が出なかった。彼らの演奏は凄かった。いや、とんでもなかった!めちゃくちゃ早くて、めちゃくちゃ上手いのだ!彼らが去った後少年たちの演奏をまねしてみようと思った。到底まねできなかった。やっぱりもっと上手くなりたい・・・。
12:30pm昼食の時間になると一旦クラスは中断される。そのとき一人の女性が私に声をかけてきた。ABCラジオのスタッフで自分にインタビューをしたいという。白人とアボリジニばかりのこのフェスティバルに日本人が参加しているのが皆珍しいようだ。彼女は「このクラスで何を学んだ?」とか「ディジュリドゥは何が魅力?」とかそんなことを尋ねられたが、はっきりいって滅茶苦茶な英語で答えてしまった。
昼食を済ませて、フェスティバルの会場をぶらぶら歩く。特に決められたスケジュールがあるわけではない。イベントは突然始まる。このフェスティバルはそんな感じだ。
14:00pm グランドの隅の木陰でなにやら人集りができている。テレビカメラがアボリジニの女性たちを撮っているようだ。近づいてみると女性たちが鳥の彫刻をペイントしたり干し草で籠を編んでいる。TIWIでみた女性たちと同じだった。彼女たちはテレビカメラも周りに集まった人々も気にせず、談笑しながら作業を続ける。ただ今まで見たアボリジニの人たちと明らかに違うことに気づく。彼女たちはとても生き生きとしているのだ。
2:30pmちょうどグランドの反対側から声がする。アボリジニの人たちがクラップスティックを叩きながら歌っているようだ。行ってみよう!見るもの、聴くもの、肌で感じるもの、すべてが新鮮で楽しくなってきた。
今度の人集りでは、男性が3人歌を歌い、カラフルなワンピースを着た女性たちが男たちの歌にあわせて手拍子をしている。よく見ると輪の中央ではペーパーバークと草が蒸らされ、女性たちが何人か屈み、上から布をかけられているようだ。歌が終わると屈んでいた女性たちが立ち上がり出てきた。ちょっと苦しそうで汗をかいている。一体何の儀式なのか?風邪を治すアボリジニの知恵か?はたまた何か「危ないもの」でも吸っているのか?そんな風に考えていると周りで見ていた白人カップルが同じようにするように呼ばれた。「自分も参加したい。どうせ二度と体験できないかもしれないのだから。」そう思ったらその輪の中に入っていた。蒸らされた草に顔を近づける。そばにいたアボリジニの女性が蒸らされたペーパーバークを口にくわえるように言う。約1分ぐらいだろうか?頭の上で男性の歌声が聞こえる。上から誰かが頭を押さえる。顔がまさにサウナ状態だ。熱い!歌声が終わると布が外され心地よい空気が火照った顔に降りかかる。立ち去ろうとするとそばにいたアボリジニの女性がくわえていたペーパーバークを私の両手に握らせ、それと胸にこすりつけてた。”This is good for your heart..”アボリジニ男性がそう教えてくれたこの儀式で私はちょっと強くなった気がした。
3:00pmまたイダキ・マスター・クラスに戻る。やっぱり皆上手い。必死になって吹いていると先生が一つのリズムを口ずさみながら教えてくれた。
ディットロワッ、ディットロワッ、ディ、ディットロワッ、ディットロワッ・・・
ハーモニクスを交えたこの奏法は何とかものにしたい、そんな衝動に駆られる。必死になってそのリズムを練習していると、先生はまた私を指名した。私は目をつぶり、肩の力を抜き、そのリズムを吹き始める。するとまるで周りにいる多くの人たちから、このアーネムランドの大地から、風から、空からのパワーが私の全身を伝わりディジュリドゥの筒に流れるようにリズムが繰り出された。心地よかった。最高に心地よかった。ああ、やっぱり来て良かった。人生最良の日。
3:50pmクラスも終了し、私は近くでアートを描いている4~5人のアボリジニの女性たちに興味を懐いた。彼女たちの描くクロスハッチのアートはとても魅力的だ。そういえば、昼食の時にアートを抱えて嬉しそうに帰ってきた白人男性がいたっけ。ということはこの絵は売っているのか?どうせだったら1枚買って帰りたい。アートを描く女性の一人にこの絵は売り物か尋ねる。女性は「この絵は売れてしまったけど、あれなら買えるよ」指さした絵はまだ未完成のイダキの絵だった。「この絵は君の絵だ」すでにそう決められてしまったが悪い気はしなかった。絵が完成するのが本当に待ち遠しかった。