2024年11月23日
Bungul
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[訪問記]MANYMAK! GARMA FESTIVAL (2000年)

「平和と調和」

 今回の主催者であるガルウィウィ・ヌピング氏が掲げたガーマフェスティバル2000のテーマである。今回のフェスティバルはまさにこのテーマが達成された素晴らしいイベントであったと思う。
 昨年は最終日のみの参加であったが、今回はフェスティバル1週間フル参加ということもあり、到着する前から昨年の感動を知っている分、さらなる期待で胸がいっぱいであった。
ケアンズで他の参加者と合流し、1日ケアンズ市内で過ごしたあと、夕方いよいよ会場があるグルクラから程近いゴーブの空港へ向けて出発する。ゴーブの空港に到着したときはすでに7時を回っており、すっかり日も落ちていた。ちょっと待ったが、ヨス・インディ基金のウェインを見つけることができた。他にも数人の参加者があり、2台の4WDに分乗して暗闇の道へと会場へ向かった。ガタガタと未舗装の道を進む。空港から離れるともう車のライト以外に明かりはない。昨年参加していなかったらこのままどこかの国に売られてしまうんじゃないか、と思ってしまうほど乗り心地はよくなかった。
 30分ほど走ると車は左へ曲がる。正面に明かりが見えてきた。ついにガーマフェスティバルに戻ってきた・・・
会場では今年はすでにテントが設営されており、各参加者に寝袋とストレッチャー(簡易ベッドのようなもの)が支給される。前日ナイトフライトということもあり、すぐに眠りにつく。
 翌日空が明るくなりはじめた午前6時半ごろ目がさめる。昨年と違うのは9月ということもあり、やや湿気が強く、また朝霧のためか、外で寝た私の寝袋はじっとりと湿っていた。
これから過ごすガーマの1日は最終日までほぼ同じである。朝起きて水しか出ないシャワーを浴びる。キッチン(会場で食事が支給されるところ)へ行き、朝食をとる。朝食はベーコン、卵、トースト、ソーセージといった一般的なオージー・ブレックファースト。食事が終わると午前のイダキ・マスタークラスが始まる。そして昼食。昼食と夕食は日替わりメニューでステーキだったり、パスタだったり、時にはカレーライスなんかも出た。食事のスタッフは客観的に見ても毎日約200名分の食事を3食支給し、後かたずけまでして、本当に大変なはずなのにいつもフレンドリーでやさしく声をかけてくれた。今回のフェスティバルで一番感謝しなくてはいけないのはこの人たちなのかもしれない、と思った。
 話を元に戻すと、昼食後、午後のイダキ・マスター・クラス、夕方からヨルング(この地に暮らすアボリジニ)の各地域の踊りが披露される。そして夕食を食べてあとは寝るだけ。こんな「人間らしい」暮らしが1週間も続く。毎日時間に追われることなく、騒音に悩まされることなく、無駄な浪費をする必要がなく、平穏な毎日。それでもエキサイティングなことはたくさんあった。
 まず2日目に訪れたイリカラ・アート・アンド・クラフト・センター。昨年は時間がなく訪れることがなかったが、今年は2日目にイダキ・マスター・クラスがなかったので他の日本からの参加者とともにシャトルバスを利用して訪れることにした。イリカラの町はアボリジナル・ランドの中にあったが、このクラフト・センターは誰でも訪れることができる。決して立派とはいえない建物の中に入って驚いた。その中に展示されている素晴らしいバーク・ペインティング(アーネムランド独特の樹皮に描かれた線画)の数々。販売コーナーのものだけでなく、その日はバーク・ペインティングの特別展が開催されていて、見応えのあるファイン・アートがならんでいた。何枚かのアートを購入したが目的はそれではなかった。イダキ(北東アーネムランドのディジュリドゥ)を入手すること。販売のコーナーには約20本のイダキが並んでいる。いっしょに参加したHIDEさんもイダキの購入が目的だったので、20本では取り合いになるかな?と思っていると、店にいたマイケルJフォックス似のウィルという男性が声をかけてきた。彼はこの店の責任者で今回のイダキマスタークラスの運営も任されているという。ウィルが「こっちへ来いよ」と合図する。みなでついていくと裏のオフィスの右側の部屋へ案内される。参加者全員がおもちゃの部屋に案内されたように眼が輝く。そこにはおおよそ100本以上はあろうかというイダキの数々。すぐにみなでぶいぶいやり始める。確かにクラックが入っていたり、ペイントが劣化してしまったりしたものがいくつかあったが、ほとんどのイダキはバックプレッシャーのかかったよいものばかりだった。自分のお気に入りを選ぶのももちろん、日本でイダキを販売しているHIDEさんと私にとっては願ってもないチャンスだ。お互いどれがいい、これがいい、とワイワイやりながら、気に入ったものを選んだ。結局その後も2回訪れて、最終的に私が14本、HIDEさんが7本、他の参加者があわせて4本購入した。

Copy Right Djalu Gurruwiwi Yothu Yindi Foundation

次に3日目のイダキマスタークラス。イダキ奏者であり、製作者でもあるジャルーと久々の再会を果たす。長いひげを蓄え、いつもサングラスをしている体格のいい69歳のこの男性はイダキを演奏する者にとってイダキの神様といってもいい。そのジャルーからイダキを教えてもらえるだけで感動なのに、今年はイダキ・マスタークラスの「課外授業」としてとても印象に残る2つの場所を訪れたのだ。ひとつはブッシュの中。ジャルー、そして息子のラリーをはじめとするジャルーの家族とイダキ作りに適した木を探した。一見どの木がシロアリに食い尽くされているかよくわからなかったが、ラリーはちょっとたたいただけで探し当てた。斧で切ると見事な穴にシロアリの排泄物が詰まっている。ちなみにアーネムランド内で木を切り倒していいのは地元アボリジニだけだ。

 このブッシュでの体験はそれだけでなかった。ジャルーの奥さんが何かを見つけた。行ってみると切り倒した木に小さな穴があいている。同行したウィルによると彼らは小さな穴から出入りする小さなはちを探してその木の中にある蜂蜜を取り出すのだという。ラリーが切り倒した木に穴から30cmぐらい離れた場所に斧をいれる。するとなかに黄色い花粉のようなものが穴にそって出てきた。さらにもう少し下を切ると大量の蜂蜜や天然のビーズワックスがある。以前からワイルドハニーのビーズワックスにあこがれていた私としてはそれを頂かない訳にはいかない。少々硬い部分もあったが、何とか手にいれることができ、感激した。蜂蜜もとても甘く、店で買うそれとは違う極上の味だった。最初はまだたくさんのはちがいたので刺されないかと心配したが、ウィルによるとこのはちは刺さないのだそうだ。ジャルーの奥さんはこの蜂蜜を大きめのタッパーにたっぷりつめて持ちかえった。

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 次の日の課外授業もエキサイティングだった。訪問した場所はケープ・アーネムと呼ばれる美しいビーチ。この地はヨングの人たちにとってとてもとても大切な場所とのことで、最初「今日はビーチへ行く」と聞いたとき、ただ泳いだり、イダキを吹いたりするだけかと思っていたが大きな間違いだった。私たちを乗せた車はかなりコンディションの悪い道を走る。ぎゅうぎゅうに押しこめられた車内は決して快適とはいえなかったが各国から集まったイダキプレーヤーと童心に帰ってワイワイ大騒ぎをしながら過ごすのは楽しかった。しばらくすると視界が開け始め、未舗装の道は赤土色からきれいな白砂にかわり始める。すると何百メートルにも続くビーチに出た。ビーチを走ると運転をするウィルと助手席のラリーが何かを探し始める。ラリーが何かを指差す。車がとまる。すると、ビーチから垂直に続く何かの足跡がある。「これはちょっと古いな。もう誰かがすでに採ってしまっただろう」とウィルがいう。はじめは何のことかわからなかったが次に新しい足跡を見つけたとき、ようやく理解できた。ウィルとラリーが足跡が終わっている場所の砂を彫り始める。50cmも掘り下げたところで、ラリーが次々と白いピンポン玉より一回り大きいものを採りだしていく。彼らは海亀の卵を採りだしていたのだ。そう、この北東アーネムランドのアボリジニたちは海亀の卵を食すること許可されているのだ。彼らにとってこの卵は貴重なたんぱく源である。たくさん採れた卵を私たちも食することを許可された。卵の殻はやわらかく、歯で軽く穴を開けて吸いだす。上質な生卵の味がする。他の海外からきたイダキプレーヤーにとっては生卵を食する習慣がなく、ちょっと苦手なようだった。海亀の卵を採ったビーチを後にさらに半島の先へと車を走らせる。30分ほど走るとようやく目的地に到着した。眼下に広がるビーチは穏やかできれいなコバルトブルーと真っ白の砂浜であった。私たちはビーチといえば「泳ぐ」だが、ジャルーやラリーのようなヨングの人たちにとってはやっぱり「採る」だった。すかさずラリーが槍を持って海へ入っていく。そんな原始的な方法で何か採れるんだろうか?そう思ったが、すぐにそれが間違いであったことに気づく。ラリーはすぐに50cm近くある魚を捕らえた。その後もジャルーが大きなロブスターを2匹とって帰ってきた。昼食は贅沢な内容だった。魚やロブスターを焼き、海亀の卵をゆでて食べる。日本では決して味わえない至福のとき。もちろんイダキのワークショップも忘れてはいない。ラリーとジャルーの孫にあたるショーンがアメリカから来た黒人のトーマスにリズムを教える。そこにイダキを持ち寄ったプレーヤーが集まりだす。そしてついには全員で演奏。これだけでも十分ワークショップの意味は果たしたように思う。アーネムランドで過ごした最高のワークショップだった、帰り砂浜に車が埋まってしばらく立ち往生したり、HIDEさんが車内で足を切り5針も縫うケガをしたことを除けば・・・。(この病院での話もいろいろあったのだが、次の機会に話をしたい。)
 肝心のイダキのワークショップはこういった課外授業以外は会場内に作られたあずま屋の下で行われる。会場内にはいくつかのあずま屋があって、別の場所では槍作りやヨングの女性たちによるブッシュフードの説明や籠網などが行われていた。イダキのあずま屋にはジャルーがいて、ひとりひとりにリズムや舌の使い方を説明しながらレッスンが進められていく。ジャルーの吹くイダキは69歳というのに力強く、エネルギーを感じる。まだはじめたばかりの臼井さんをはじめ音が弱いプレーヤーには、「君はぼくよりずっと若いのだからもっとパワーをいれて吹けるはずだ」と叱咤激励したり、同じリズムを何度も繰り返して、舌の動かし方を意識するように教えてくれた。循環呼吸のことなど一言も説明せず、音の出し方という基本中の基本を徹底したワークショップは初心者ならずともすでに人前で演奏をしている上級プレーヤーにとっても大変参考になる濃い内容のワークショップであったといえるであろう。

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 いよいよ最終日。ジャルーがエルコ島での葬式に出席しなくてはならないため、午前中で切り上げられることになった。ジャルーがひとりひとりに演奏をさせる。そしてあの繰り返し行われたリズムをさらに徹底して繰り返させる。最後はジャルーがひとりずついすに座らせて背中に向かってイダキを奏で、パワーを入れてくれた。本当に素晴らしいワークショップ。ジャルー、ラリー、ショーン、ウィル、皆ありがとう。最終日の夜はダンスとヨスインディのライブで夜遅くに幕を閉じた。

 最後に1週間このフェスティバルに参加しての印象だが、「珍しい体験」をしたというより、「懐かしい体験」をしたという方が正しいと思う。昨年も感じたことだが、アボリジニの祭りは日本の祭りと変わらない。子供も大人もお年寄りも皆いっしょになって、踊ったり、歌ったり・・・。私は東京生まれなので田舎がないが、田舎にお盆に里帰りする感覚っていうのはこんな感じなのかな?と思う。それからヨングの世界では実に人間として大切なことが守られている。年長者を敬い、年上の子供は年下の子供をかわいがる。大人はどの子も自分の子供と同様に叱り、そしてかわいがる。私たちは勝手に彼らのイメージを作り上げて、何か特別なもの、神聖なもののようにとらえがちだが、私たちと何ら変わらないのだ。むしろ拝金主義で物欲が強く、自己中心的で、他人を尊重しない、人間らしさを忘れた私たち日本人のほうが彼らより劣っているに違いない。
(レポート:Tets-J)

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