2024年11月23日

[訪問記]Garma Festival 2002 Report

ガーマに毎年参加する意義は何か?

 今年で4回目の参加となるこのアボリジニ文化を学ぶイベントは自分にとっては毎年の行事となった。今年は行くか行くまいか、正直迷った。確かにジャルーをはじめとするイダキマスターから習うイダキ・マスター・クラスは魅力だし、毎晩行われるブングル(宴・踊り)も捨てがたい。しかしながら航空券の値段が馬鹿高くなるお盆の時期に、さらに高い参加費を払って行くだけの価値があるかどうか?決して裕福な生活をしてるわけではない自分がそれだけのお金を使って学ぶイダキというものはどうゆうものか、本当に今後も毎年行く価値があるかどうか?今回はそれを確かめに行くことを決心した。

 毎年なにか違うハプニングが起こる。それもまたガーマの魅力である。

 イリカラのアートセンターからガーマの会場であるグルクラに入る。懐かしい会場が見えてくる。何も変わっていない3年前から同じ会場だ。唯一違って見えたのはテントの数。去年よりも遙かに多いテントがすでに設置されていた。レジストレーションを終えると、テントの場所に案内される。約20mとなりにはアボリジニの一団がすでにテントを構えていた。遠目からこちらを伺っていたのは知っていたが、テントを設置するのにいそがしくてそれどころではない。しかしある程度テントを張り終わり、することもなくイリカラで買ったイダキを吹いているとそのアボリジニの一団から2名がこちらにやってくる。「これはおまえのイダキか?こっちにもってこい」ひとりが言う。「あなたはイダキを演奏するの?」と聴くと「あそこに座っているオレンジ色のシャツのやつが吹くよ」という。見ると見るからにごつい太ったアボリジニの男性が寝ていた。とりあえず彼の元に連れて行かれ一人が眠っていた彼をおこす。彼はちょっと不機嫌そうに私のイダキを手にとって吹き始めた。彼の演奏に合わせて他の男たちが歌い出す。間近に聴くイダキの音と歌。このときはえらく感動していたが、それはまさに彼らのブングルの始まりにすぎなかった。

 そのすばらしきヌンブルワの人たちとの幾つかのエピソードを紹介しよう。

(1) 最高の前夜祭

 昨年はエルコアイランドのアボリジニが夜テントにやってきてイダキを聴かせてくれたので今年もそれを期待して彼らを夜自分たちのテントに来てくれるように誘った。

 夕食が終わりテントに戻るとすでに彼らのテントではたき火が焚かれ人が集まっていた。他の日本人とともに彼らのたき火の周りにイダキを持っていくと、歓迎され、しばらく一緒にイダキをふいて楽しんでいた。するとどこからともなく人が集まりはじめ、そのたき火の周りのスペースはだんだん狭くなっていく。ひとりのアボリジニが言う「おまえたちのたき火の周りの方が広いからそっちへ行こう」そういわれたのでみんなで移動する。移動してからも彼らは歌を歌い、イダキを吹き、クラップを叩き続ける。彼らはそれに物足りなくなってきたのか、ついには踊りはじめた。間近に見るブングル。たき火に満天の星空、そしてブングル。しかも彼らは自分の誘いでブングルを始めたのだ。さらに他のテントからも集まり始める。ジャルーまでいすを持ってやってきた。最高の前夜祭である。

(2) タフな男たち

 彼らは南東アーネムランドのヌンブルワという場所から来た。彼らはこれから毎日ブングルの時間に踊るとは予想していなかった。去年は毎日違う地域の踊りが披露されたが、今年は毎日彼らの踊りと別の地域の踊りが披露されたのだ。とてもタフだなあ、というのが正直な感想である。彼らは祭りが終わった日曜日も赤い祭り用の布と赤、黄、黒の糸で編まれたひもを腰と頭に飾って踊る。その踊りは400年前にやってきたマカサンと呼ばれるインドネシア人との交流を物語っている。後から教えてもらったのだが、彼らの踊りはその船を表し、イダキの音は海を、歌は船の船長を表しているという。

(3) 観客の目を釘付けにした少年

 今回のヌンブルワ一行はほとんどが大人だったが、なかに1人、推定8歳ぐらいの少年がいた。キャンプサイトでみた彼はきれいな眼をした純朴で無邪気なヨルングの少年であったが、ブングルになると彼は一人のダンサーになった。彼は踊りに対して真剣に取り組んでいるのが伝わる。決して大人のまねをしているのではなく、一人のダンサーとしての自覚があるのだろう。そんな彼のまっすぐな姿勢が観客に十分伝わる。彼が踊り出す、砂を蹴り上げる足のステップは他の大人と一緒だ。最後のポーズが決まるとわれんばかりの拍手がなる。最終日に彼の踊りを見てこのまままっすぐにヨルングの文化を守ってほしい、そう思ったら涙が流れた。

(4) 長老とイダキ奏者との出会い

 4日目の夜、キャンプサイトでイダキを吹いていると、一人のヌンブルワの男性がやってきて、イダキをもって来るように言った。彼らのキャンプサイトに行くと、今日イダキを演奏していた男と、その一団の長老がいる。
 「これから君たちにイダキを教えてあげよう」そのイダキ奏者は言った。彼はまず自分たちの踊りがマカサンがやってきたときの物語であることを話してくれた。ヌンブルワの人たちにとってはマカサンとの出会いが初めて外部の人との交流であったので、彼らの文化はここが始まりなのだと誇らしげに話してくれた。そしてイダキのリズムは海を表し、つねに一定のリズムで波を表現しているのだと、独特のリズムを教えてくれた。彼の演奏するイダキの音色が力強くそして優しく真っ暗なキャンプサイトに流れる。すると今度は長老が演奏を始める。長老の演奏は心にずしんと響いた。感動した。言葉が出なかった。ただただうれしかった。あの音を生で聞くことはもうないだろう。

(5) 一生の宝物

 最終日のブングルが始まる前、ヌンブルワのイダキ奏者が声をかけてきた。「君のイダキを貸してくれないか?」ガーマに来る前にイリカラのアートセンターで購入したイダキがよほど気に入ったらしく、聞けば今日のブングルで使いたいという。これほど光栄な話はない。もちろんすぐにOKした。一般的にアボリジニの人は物の独占欲というのがない。おもしろいもの、いいものは皆で共有する。例えばヨルングの子供たちはビデオカメラは大好きだが、決して盗もうとはしない。つまりは人をだまして物を奪うという行為は彼らの文化にはないようだ。だから自分のイダキも必ず戻ってくるとわかっていた。

(6)ブングル初体験

 ヨルングのブングルでイダキを演奏する。それは一生かかっても実現できないことかもしれない。でもイダキを演奏している限り、自分の演奏でヨルングの人たちが踊り、歌ってくれるのが夢である。そんな夢が叶ったのは最終日の翌日、帰りの支度をしているときだ。

若いヌンブルワの男性とあの少年が5名ぐらいでブングルをしていた。ソングマンは通常ある程度年長者がつとめるものだが、決してうまい歌い手ではなかったが一人の青年が歌を歌う。そしてイダキ奏者もけっしてうまいとはいえなかったが、皆で楽しそうにブングルをしている。その光景があまりにもよかったのでカメラを向け、何枚か写真を撮ると、彼らが私に来るようにいう。「イダキを吹いてくれよ」まさにブングル初体験である。イダキを吹く青年が歌う、他の人が踊り出す。他の日本人参加者も踊りに入る。日本とヌンブルワの初の合同ブングルだ。そのとき、いつの日か本物のブングルで演奏が出来る日を夢見た。

 イダキマスタークラスは、すばらしかった。今回で4回目の参加であるが、1回目はジャルーが何者なのかも知らず、伝統奏法がなんたるかも全くわからず参加したので何も出来なかった。2回目は彼らの音をどうやったら出せるのか、その基本的な部分が大きな壁になった。昨年は伝統奏法は正面で吹く方がいいと言うことがわかり、正面吹きに直すのがやっと。だから今年がやっとスタート地点に立ったという感じだ。完全でないまでも伝統奏法の基本音のコツが少しわかり始めていたので、ジャルーやミルカイが教えてくれるリズムも少しずつではあるが、わかりはじめた。今年の最大の収穫はミルカイからGapuと呼ばれる伝統的な曲を教えてもらったこと。昨年同様ケープアーネムヘ行ったり、ブッシュでイダキの木を切りに行ったりももちろん楽しかった。

 さて、最初の心の迷いに答えが出たかどうかだが、その答えがわかるまで毎年行くことが今の自分にとって最も大切なのだというのが結論だ。出会い、体験、感動、これだけ自分の心をドラマチックに揺さぶるイベントはないだろう。
(レポート:哲J)

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