2024年11月21日

[訪問記]Elcho Island Report 1(2003年)

Galiwin’ku Marrtji!! (ガリウィンコへ行こう!!)

この体験記を発表するのに、正直ちょっと迷った。今回体験したことを書くにあたって、「なんだ、自慢したいだけじゃないか?」みたいに感じられてしまうのがいやだったからだ。誤解してほしくないのは、今回の体験を興味のある人と共有したいだけで、自慢したいわけじゃない。そうでなければ自分の胸の内にしまっておくだろう。日本ではずいぶんヨルングやイダキの情報が増えて、正しく理解しているひともいるが、まだ表面の部分しかしらず、間違って理解していることもたくさんあるように感じる。だから体験を共有することによって、すこしでも本当のヨルングの姿を知ってもらえれば、という気持ちから発表することにした。こういった体験は、一朝一夕にできるものでないのは自分の体験からよくわかっている。もし、こういう体験をしたいのであれば、あしげく彼らの元に通い、いい関係を作ることだ。まだアーネムランドに入ったことのない人は、最初はアーネムランドに住んでいる人、アーネムランドをよく知っている人に案内してもらった方がいい。またはガーマフェスティバルのようなヨルングと交流できる機会に参加するのがいいだろう。彼らを理解したいなら、イダキだけでなく、言葉、文化、生活、自然、社会の仕組みなど覚えることはたくさんある。それらの基本的な部分がこの体験記の中にあると思う。是非この体験記を通してヨルングの世界を疑似体験してほしい。またこの中で葬式についての説明があるが、今回参加したパートに関しては、部外者に話してはいけない、という内容ではなかったので、記したことを理解していただきたい。(哲J)

*記事中の文章、写真を無断転載・複写厳禁。

機会は突然やってきた!  
今年6月のイダキフェスタが終了してから4ヶ月が経とうというのに、燃え尽き症候群の日々が続いていた。
イダキフェスタにあまりにも全力投球してしまったために、他のディジュリドゥ奏者が来日するといわれても全く力が入らなかった。
そんな日々がただ流れる中、1通のメールに目を奪われた。
「エルコ島の中心部ガリウィンコからアボリジニが3名来日することになった。ついては東京での公演をアレンジしてほしい」
最初は「そんな急にいわれてもねえ・・・」とは思ったものの、添付された写真を見て正直びっくりした。
その写真はイダキフェスタでも踊ってくれたモーニングスターの踊りであった。羽で飾られたポールはモーニングスターポールと呼ばれ神聖なセレモニーには欠かせないアイテムである。それらを持参して、3名のダンサー、ソングマン、イダキ奏者がやってくることになったのだ。ふつふつとイベント屋の血が4ヶ月ぶりに騒ぎ始めた。一度何かを「やろう」と思ったら、次々とアイデアが浮かび、それと同時にいろんなことが起こる。
11月初旬にイリカラへ行く予定にしていたのを思い出した。そういえばイダキフェスタに来たミルワンガやイリイリンゴはエルコ島にいるっていってたっけ?ジャルーも儀式の度にエルコ島へ行くと言ってたし。エルコにはきっと何かがある、と直感した。「よし、エルコ島に行こう、エルコ島に行きたい!」
とはいうものの、自分にはどうしたらエルコ島にいけるか、わからなかった。エルコ島は言うまでもなくアボリジニの居住区だ。居住区にはいるにはそれなりの理由がいる。いきなり身分もわからない日本人が行っても、迷惑をかけるだけだ。そこで正当な理由を考えてみた。ひとつはイダキフェスタで世話をしたヨルングに会いたいこと。それから今回のガリウィンコからの来日である。これは十分すぎるぐらいの言い訳になる。とはいうものの、その言い訳を伝える手段がない。そこでイリカラ・アート・センターで働く親友のジェレミーに相談する。ジェレミーは言わずとしれたニュージーランド出身の元レゾナンスのイダキ奏者だ。アーネムランドに行くときはいつも彼にお世話になっている。イダキフェスタでのコーディネートの他、今まで十分すぎるほど彼には世話になっているので、こちらからお願いするのはとても気が引けたが、このチャンスを逃すと一生エルコ島に行く機会がなくなる気がしたので、思い切って相談した。  メールを送ってすぐに彼から返事が来た。「今、エルコ島ではバティクパ(ジャルーのキンシップ上のお兄さん)の姉の葬式の最中だから難しいかも。明日現地のアートセンターにコンタクトをとってまた返事するよ。」彼らにとって葬式は最も重要な儀式であり、部外者は立ち入ることができない。今回はあきらめるしかないのか・・・。  翌日ジェレミーから連絡があった。「OK。ジャルーもエルコ島に行っているそうだ。ノンゴもいるから大丈夫。」初めてのエルコ島が今、現実のものとなった。

アドプトの重要性  
11月7日、ケアンズを経由してイリカラに着く。少しロン毛になったジェレミーが相変わらずのスマイルで空港で待っていてくれた。荷物を待っている間、ジェレミーが話を始めた。「そういえば、イダキフェスタの時にイリイリンゴにアドプトされたけど、ジャルーがいうにはおまえは2回目のガーマフェスティバルのときにドフィア(ジャルーの奥さん)によってすでにアドプトされてたそうだよ。だから今、2つのファミリーにアドプトされていることになっててちょっと変なことになってるよ。」その話を聞いたときに思い出した。そうえば2回目のガーマの時にジャルーが片言の英語で「おまえをアドプトするよ。おまえは今日からドフィアの兄弟だ。」と。そのときはある意味そんなに深い意味はないと思っていた。1,2度会ってアドプトされたからと言ってそれを皆に「私はジャルーのファミリーになった」公言するのはどうかと個人的には思ったからだ。むしろ何度も足を運んで関係を作ってから初めてアドプトされるものだと思っていたし。でもジャルーたちは本気だったのだ。悪いことをした。晴れて、自分はGulari Yunupinguという名前をもらい、Skin nameはBulany、Gumatji族のYirritja半族に属していることがわかった。「大丈夫、ジャルーがイリイリンゴたちと話をして解決してくれるよ。」このアドプトがこの後、本当に大きな意味をもつことはこのときはまだわからなかった。

いざ、ガリウィンコへ!!
11月8日、一夜明け、朝、チャーターした6人乗りのレイナ・エアーのセスナでエルコ島中心部ガリウィンコへ出発する。せっかくチャーターしたのに操縦士、ジェレミー、私をのぞいてあと3名乗れるのに席があいててもったいない、ということで、行きはジャルーの妹、ダンガルも相乗りすることになった。帰りはその他にジャルーともう一人いっしょに戻ってくることになっていた。とはいうものの、こういう場合、約8万円する往復のチャーターの料金はすべて私が払うことになるのは当然のことだった。その他にもおみやげのたばこ(彼らのほとんどはWinfield Blueというたばこしか吸わない)やら、食料やらすべて負担しなくてはならない。アドプトされると本当に金がかかるのだ。おまけにダンガルを見送りに来ていたドフィアにもジャルーが戻るまでの食事代をせがまれた。勘違いしてほしくないのは彼らは金がほしくてアドプトしているのでない。家族がもっているものは家族で分け合う、共有するという考えがあるからだ。そうはいってもなかなか理解するのには時間がかかる。  セスナでガリウィンクまで約40分、途中、北アーネムランドの海岸線を西に進み、ついにエルコ島に上陸した。

 エルコ島。アーネムランドの北側に位置する東西に長細い島である。エルコ島の情報は本当に一部のCDや本ぐらいしかなく、とてつもなくなにもない場所を想像していた。確かに四方を美しい海で囲まれ、島は多くの木々で覆われていた・・・が、なんと言うことだ!島には人、人、人・・・。もちろんどこの居住区にもみられる住居が建ち並び、さらにはテント生活をする人も。もちろんほとんどがフルブラッドのヨルングであることは確かだが。それでも白人もちらほら見受けられる。あとでわかったことだが、この島には2000名を越えるヨルングが住んでいるという。そしてテント生活をしているように見えた人たちは葬式のために他の地域から訪ねてきた人たちだそうだ。あるものはファミリーの家にお世話になり、あるものはテントを張って葬式の間、過ごすのだそうだ。

 ガリウィンコのアートセンターに勤めるレイチェルという白人女性が迎えに来てくれた。まずはアートセンターに連れて行ってくれた。イリカラと比べると約半分のサイズであったが、イリカラとは違ったアートやクラフトが目に付く。イダキは10本程度あったが、クラックが入っていたり、吹き口が少し大きかったり、食指がうごくものはあまりなかった。それよりも釘付けになったのはモーニングスターポールだ。中には重要な儀式で使われたもの(もちろん非売品だが)、様々なペイントが施されたものなど約30本程度が展示されていた。その中で片隅にあった1本が気になった。黒いペイントに白い羽根飾り・・・。適切な言葉ではないが「チョーカッコイイ!!」。結局白い羽の腕飾りとともに購入した。

 アートセンターでひとりのヨルングの男性が声をかけてきた。彼の名前はリタリタ。イリカラにも時々イダキを売りに来るらしい。彼はいろいろ親切に話しかけてきた。アートセンターの前に広がる海のこと、アートのこと、イダキのこと。彼は「うちに昨日の葬式で使ったイダキがあるからよかったら買わないか?」と。さっそくジェレミーと見に行った。家の奥から出てきたのは彼の息子と彼のお母さん。そして息子がイダキを持ってきた。珍しく緑色にペイントされ、魚の絵が施されていた。緑色というペイントにちょっと引いてしまったのが間違いだった。ジェレミーが「おまえ買うか?」と聞いたときに「どうかなあ・・」と言ってしまった。その瞬間ジェレミーが「俺が買うよ。」しまった。よく考えればセレモニーで使われた滅多にないイダキ。しかもジェレミーはそれを1万円程度で手にしてしまったのだ。後悔してももうあとの祭り。人の手に渡ったイダキはよく見えるものである・・・、隣のイダキは本当に青かった。そしてこのイダキがのちに大笑いのネタになるとはこのとき誰一人知る由もなかった。もうひとつ、彼の母親は私にはいっさい口をきかなかった。私のキンシップ上、彼の母親は私と口をきいてはいけないそうだ。ヨルングの社会の複雑さを知った。

再会!!
その後、レイチェルの車でジャルーの滞在している家に移動する。ジェレミー曰く今日はジャルーといっしょに同じ家に泊まることになっていると。ヨルングの家に泊まるというのはなかなかできない体験だが、それなりの覚悟がいると聞いていた。トイレは汚い、床に寝る、エアコンなんてもちろんない。うれしい反面、かなり緊張していた。ジャルーは家の前で家族とくつろいでいた。私に気がつくと笑顔で握手を求めた。本当に彼は寛大な心の持ち主だ。ジェレミーがファミリーとなにやら話をしている。10分後ジェレミーは荷物を持ってレイチェルの車にまた乗り込んだ。「今日はここじゃなく、別の家に泊まることになったよ。」その家は、そこからほんの200m先の小さな家、白人のアランという男性が住んでいた。とてもきれいに清掃された部屋にはエアコンがあり、本当にここがエルコ島かどうかわからなくなる錯覚に陥った。いっしょに来たジャルーは昨晩子供たちがうるさくて眠れなかったようで、ベッドを借りて昼寝を始めた。しばらくジェレミーとアレンと3人で話をしていたが、話のネタも尽きたので、ジェレミーと2名で散歩に行くことになった。100mほど歩くと右手にたくさんのヨルングが集まっている。その中心にある家の前には8畳程度の広さがありそうな小屋があり、そのまわりにはペーパーバークという樹皮で覆われていた。入り口には大きな布になにやらヨルングの言葉が書かれている。その上に大きな文字でKing of Kings, Load of Loadsと記されていた。そのとき「ああ、この中に棺があるんだな」と直感した。

 その集団の中から黄色い服を着てサングラスをかけた大きな男がやってきた。あの風貌はミルワンガに違いない!イダキフェスタのあとずっとエルコ島にいると聞いていたが、やっぱりずっといたらしい。連れて行かれた集団の中にはノンゴ、イリイリンゴもいた。あのイダキフェスタで一躍ヒーローになった3人集の揃い踏み。それにしても、ノンゴとミルワンガは変わらないけど、イリイリンゴは野生化していた。ガッパンを体中に塗っていたのでよけいそう見えたのだろう。ノンゴが「キングコングみたいだろ?」とおどけて耳元でささやいた。酒の入っていないイリイリンゴは本当におとなしい。

 持参したイダキフェスタの写真やディジュリドゥ・マガジンの最新号を渡すと仲間や家族に自慢げに見せる。3名とも日本での経験が大きな自信につながり、儀式でも積極的に演奏やダンスをするようになったとジェレミーから教えてもらった。本来の彼らの招聘の目的が少し達成できてよかったなと思った。

 その後、グルウィウィファミリーが50m後ろに座り、こっちへ来いと呼ぶ。アドプトによって自分の所属するグループが決まり、通常はそのグループといっしょに座らなくてはならない。本来はグマチのグループと一緒にいなくてはならないのだが、ガルプ(グルウィウィ・ファミリーの属するグループ)とグマチはYOTHUとYINDIの関係にあるので、ジェレミーもまあいいだろう、と言ってくれた。

 しばらくの後、ジェレミーが寝ているジャルーの様子を見にいき、なかなか戻ってこない。ダンガルといっしょにピスタチオを食べるのに夢中になっていると、ジェレミーがアレンの車で現れそのまま自分の前を素通りしてしまった。よく見るとトラックの後ろには自分と彼のバッグが。呆気にとられていると10分後に戻ってきてこういった。「今日の寝床がかわったよ。」まるでジプシーのような2人。でもそれはアップグレードを意味した。これはあとでわかったことだが、アレンの両親が住む家の方が、ベッドもあるしいいんじゃないか、ということになり、移動したのだ。最初はジャルーといっしょに寝ると思っていたのである程度覚悟はできていたのだが、結局、シャワー、エアコン、食事つきの快適な寝床を見つけて、正直ほっとした。でもいつかは体験したい、ヨルングのホームステイも。

 11月のエルコ島は、蒸し暑く、皆、日陰から出てこない。だが、夕方になるにつれて風は涼しくなり、不快指数もぐっと下がった。そのときである、今まで体験できなかったことがついに現実となったのだ。

初めてのヨルング式南無阿弥陀仏
ミルワンガたちがいるグループにジェレミーと自分が呼ばれた。皆、ガッパンを頭に塗り始めた。「え?もしかしてこれからセレモニーが始まるの?見ていいの?すごい!!」と喜んでいたのもつかの間、ノンゴの奥さんがガッパンの入ったバケツを手にこっちにやってきた。そして前に来ると自分の髪を少し掻き上げ、ガッパンをおでこと髪に塗り始めたのだ。「すごい!!セレモニーに参加できるんだ!」正直心の中で興奮していた。もちろん、参加というのはこのとき「見学」と言う意味だったのだが、そのすぐあとに、それは違ったことに気づく、男性が横一線にならび、その中に並ばされた。その後ろに女性が一列に並ぶ。先頭を行くソングマンと、イダキ奏者が進むと、一人が「おまえたちも並べ!」と指示をした。この瞬間、頭の中では興奮した。思わず笑みをこぼしそうになると、ジェレミーが「このセレモニーは少しシリアスだから笑っちゃだめだよ」という。そうだ、これは宴ではなく、葬式の儀式なのだから。改めて自分に言い聞かせ、彼らに歩調をあわせ、男性のかけ声に会わせていっしょに行進した。すると棺のある小屋の入り口まで来た。男性たちはその小屋の前でダンスを始める。女性たちは小屋の中に入っていく。そのとき、女性の一人が小屋の中に入るように指示した。不適切な表現だが「マジ、ヤバイ」と心の中で思った。小屋の中には10名ぐらいの女性が座っている。小屋の壁には故人をしのぶ写真がたくさん飾られ、棺の周りにはたくさんの花が飾られていた。おそらく覗こうと思えば故人の顔をみることができたであろう。でも今はそれどころじゃない。どうしていいのか、正直頭の中が真っ白になった。外では男性の歌い踊る声が聞こえる。棺の一番近くに座らせられた。ジェレミーがなかなか入ってこないので、取り残された気がして心配になったが、数分後に入ってきた。「どうすればいい?」ジェレミーに目で合図をすると「わかんないから、とりあえず下を向いて座っていよう」と合図した。すると女性が歌い始める。歌と言うより、鳴き声に近い。そう映画「裸足の1500マイル」の中で子供たちを奪われた母親が泣いたあの声にとてもよく似ている。その甲高い女性の声は部屋の中をぐるぐる回り始めた。本当に涙するものもいる。この光景で動悸が激しくなる。思わず無意識のうちに手を合わせた。どうか故人の精霊が無事生まれた場所にもどれますように」何度も、何度も祈った。  10分ぐらいいただろうか、もしくは5分だったかもしれない。ジェレミーが外に出ようと合図する。その言葉に救われた気がした。外に出るとイダキ奏者のすぐ後ろに座った。目の前ではミルワンガをはじめ、4名のダンサーが踊っていた。ジェレミーによると「ダンスはドゥアとイリチャによって交互に行われるんだよ。土地もすべてドゥアとイリチャが交互に位置しているし、時間もドゥアとイリチャの時間がある。」そうなんだ、セレモニーではダンスは交互に行われるんだ。今回の葬式は大きな葬式だったためか、8つのグループが来ているそうだ。自分たちが見ることができたのは3つのグループだけだが、ジャパナ(サンセットの踊り)などいくつかイダキフェスタでみられた踊りが目の前で始まった。ああ、まさにガーマで見た光景と何ら変わらない。もちろん大切な葬式というセレモニーだから写真は撮ることはできない、そう考えると、ガーマフェスティバルはすごい体験ができる場所なんだなあ、と改めて思った。  最初のグループが踊っている時、ジャルーが少し離れたところに現れる。それはガルプ族が座っている場所だ。ジェレミーが向こうへ座ろうという。僕らはジャルーの後ろにすわる。そこへバティクパ爺さんも現れた。おそらく毎晩の葬式でくたびれたのだろう、ちょっと疲れた様子だった。それでも自分を見つけると「Waku!」と呼び、微笑んでくれた。しばらくすると最初のグループの踊りが終わる。するとジャルーは大きなイダキを持ち出した。次はガルプ族の番のようだ。ガルプの大きな悩みは本来ダンスやイダキを演奏する若手の奏者があまりいないことだ。ここでもジャルーが演奏をする。バティクパや数名の長老が歌う。でもダンスはなかった。それでもビルマを手にした長老の歌声、ジャルーのイダキの迫力には本当に圧倒される。しばらくするとグマチのグループが現れる。おもしろいことに演奏が重なってもお構いなしに2グループが演奏をする。ほとんどの場合1曲ごとに交互に行っているようだが、時にはおもいっきりバッティングすることもあったが、どちらもお構いなしに続けていた。次第に日が暮れて、満月が現れた。  あたりが暗くなったときに、僕らは葬儀から離れた。すごい体験だった。今でもあの女性たちの声は耳を離れなかった。イダキとはこういう儀式のためにある楽器なのだと改めてその奥深さと伝統を実感した。

ガリウィンコの風
 11月9日、朝6時半に目が覚める。ジェレミーはまだ寝ていたが、せっかくガリウィンコにいるのだから少し散歩をしよう。そう思って外に出る。海は静かだった。鳥の鳴き声も心地よかった。まだ人影もまばらだ。通りに出てビデオを回す。子供たちは早起きだ。朝からドラム缶で作った太鼓をたたく子供たち。近づいて話しかけると、ちょっとびっくりしたように静かになってしまった。でもビデオを回すと大喜びした。朝の涼しい風が心地よかった。その後家に戻り、朝食をとった後、ジェレミーとともに散歩に出る。ジャルーのいる家に向かった。通りには雑草の間にプラスティックごみが散乱していた。イリカラやナランボイと違うのは、その中にはビールの缶がない。そのことをジェレミーに話をすると「たぶん森の奥にはいるとたくさんあるよ」と教えてくれた。確かにそれが現実なのだろう。しばらく歩くとダンガルと数名のファミリーが外の木陰にいた。夜は子供がうるさいので外に寝たそうだ。しばらく談笑していると、ジャルーがやってきた。ジェレミーがジャルーにおなかがすいたか尋ねる。彼はそっとうなずいた。彼の兄弟の車でろ家に戻る。家の前に着くと、ヨルングの若者が血相を変えて走ってきた。そのときは私はもう部屋に入るところだったのだが、ちらっと見ると頭から血を流していた。彼とジャルーの兄弟は車でそのまま走っていった。「ケンカだね。ヨルングの間ではよくあることだよ」そうジェレミーは教えてくれた。そういえば昨年のガーマでも夜中に大喧嘩があったのを思い出した。食事をピックアップするとまたダンガルたちのところに戻る。皆で食事をする。すると100mぐらいはなれた一件の家から大きな叫び声が聞こえる。そこへ子供や女たちが集まってくる。先ほどの血を流した男性がまだ口論しているようだ。これもヨルングの社会の一端であることは否定できない。ヨルングのすばらしい文化ばかりがクローズアップされるが彼らの社会の中での問題も少なからず存在する。それをすべて受け入れないとこの地では生きていけないのかもしれない。しばらくすると、バティクパがやってきた。食事をすすめたが、疲れた顔で首を横に振った。「毎日セレモニーが続いて疲れたよ。セレモニーは火曜日までと家族が決めた。だからあと3日は続くんだ。」この葬式は先週の月曜日から始まったそうなので1週間を越える大きな葬儀となった。ダンガルによるとあと2人の故人の葬儀が待っているそうだ。エルコでの葬儀は延々と続くようだ。  10時をすぎた頃、遠くで鐘がなり始めた。人々が葬儀の場所へと歩いていく。ジェレミーがいう「これからもうひとつの儀式が始まるんだ。」

もう一つの儀式
 意外と知られていないのであるが、多くのヨルングはクリスチャンである。昔、キリスト教の宣教師が来て、彼らにキリストの教えを説いた。そのため、今でも多くのヨルングが教会への礼拝(サービスと呼ばれる)をするのだ。少し興味があったがジェレミーはあまり行きたくなさそうだった。その理由はあとでわかったが。

 ジャルーがジェレミーと私を連れて歩き始めた。ジャルーが葬儀の場所に向かった。そう、今日は日曜日。礼拝が行われるのだ。
昨日とは違った雰囲気の会場には白い布で覆われたテーブルがおかれ、花で飾られていた。白人の姿も多く見受けられる。ギターを抱えた男性、キーボードチェックする男性・・・、すると一人の女性がマイクを持って話し始めた。たぶんこういう内容だっただろう「みんな、集まれ!これから礼拝が始まる!何人も歓迎する!」

 30~40人ぐらいは集まっただろう。いすに腰掛けていた細身のヨルングの男性が立ち上がった。この人が牧師だと言うことはすぐにわかった。彼はヨルングの言葉と英語で少し話をして、数名の女性たちを呼んだ。これからこの女性合唱団(全員ヨルング)が歌を歌うらしい。ギターとキーボードの演奏に合わせて歌い出す。牧師が全員経つように指示する。そして歌が始まると皆、歩き出し、その場にいる人に握手を求め始めた。「こんにちは、~といいます」「神のご加護を!」そんなことを言いながら握手した。その後、パンケーキを少しだけちぎって食べる儀式、キリストの赤い血に見立てたラズベリージュースを飲む儀式など続く。そのあと、また牧師の話を聞き、話をしたい人が前に出てきて話をしたり、聖書の一節を読んだりした。ジェレミーがいやがった理由がわかった。この炎天下の中、4時間近くも続いたのだ。ヨルング語の混じった礼拝はある意味新鮮だったが、「もう1回で十分かな?」とも感じた。正直、ちょっと奇妙でもあった。

イダキ盗難事件
 4時間の忍耐の後、昼食をとり、昨日アートセンターで買ったモーニングスターポールを取りに行くことにした。アートセンターへと歩く途中、一人の少年が声をかけてきた。オレンジ色のバスケットボール・ユニフォームを来たどこにでもいる15,6歳のヨルングの少年だ。 「ヨルングの言葉はなすんだろ?どこのファミリーなの?」ジェレミーに向かってはなす。ジェレミーは最初、無視していたが、しばらくしてお互いの自己紹介が始まり、談笑し始めた。すると少年が、
「そうそう、俺イダキもっているんだ。買わないか?すごくかっこいいやつだよ。20ドルでいいよ。」
「わかった、家にあるのか?」とジェレミー。「そうそう、あとでアートセンターに持っていくよ」
そして、少年と別れると、アートセンターにたどり着いた。

レイチェルはすでにアートセンターにいて、モーニングスターポールの梱包はすでに終わっていた。 ジェレミーがたずねる「僕の預けたイダキはこの中に入っているの?」
レイチェルの顔色が変わる。「え?もってったんじゃなかったの?」
あわてて車の中を探したり、昨日の足取りをたどって探した。確かに昨日、車にイダキを残し、レイチェルと別れたのは覚えている。
いろいろ探したが、出てこない。するとジェレミーが思いついたように言う。「ああ、きっとさっきの少年だ。」
僕らは少年を捜した。少年は他の友達たちと僕たちが滞在していたアランの両親の家のバルコニーにいた。
途中で加わったダンガルとレイチェル、ジェレミーの3人でなにやらヨルングの言葉で彼に話しかける。たぶん核心の部分はこんなことを言ってたのだろう。 「さっきのイダキだけど、ほんとはどこにあるんだ?」
「アートセンターの裏のタンクの陰においてあるんだ。」
「わかった、じゃあ、あとでアートセンターに持ってきてくれ。」 イダキの隠し場所を聞き当てた私たちは、アートセンターへと直行し、裏のタンクの陰に隠してあった、緑色のイダキを発見した。皆で大笑い。少年にとってはたぶん、イダキをたまたま見つけて勝手に持っていって吹いていたのだろう。それをアートセンターの裏に隠しておいたら、たまたまジェレミーを見つけて、小遣いを稼ごうととっさに考えたのだろう。 ヨルングの少年には盗みの意識はない。彼らは電化製品とかにはあまり見向きもしない。どちらかといえば、人のいえに勝手に入り込んで、食べ物や飲み物を冷蔵庫から勝手に物色するぐらいのものだ。イダキはきっと食べ物を買うお金になるのだということを知っていたに違いない。それにしてもこんなこともあるのだなあ、と思った。

Nhama !! (SEE YOU!!) イリカラへ帰る時間となった。帰りは、私、ジェレミー、ダンガル、ジャルー、そしてジャルーが養子にしたバーナムの5名が乗り込んだ。飛行中。ダンガルは寝ていた。ジャルーは遠くを見つめていた。バーナムは私のビデオカメラで遊んでいた。一番前に座っていたジェレミーが下を指さして言う。「おまえのアボリジニの名前は、あの川から来ているんだよ」と。昨日の葬式で正式にヨルングのファミリーに迎えられ、自分の与えられた名前の由来のある川が自分の下を流れる。次の訪問に思いを馳せ、ガリウィンコを後にした。 (哲J)

[用語注釈]
* イダキフェスタ (Yidaki Festa)
今年6月に杉並、セシオン杉並で開催した。日本最大のイダキ単独イベント。3名のヨルングを招待。
* ヨルング (Yolngu)
アーネムランドの北東部に住むアボリジニの総称。
* エルコ島 (Elcho Island)
アーネムランドの北部に位置する島。ヨルングの居住区で、多くの儀式が行われる。
* ガリウィンコ (Galiwin’ku)
アーネムランドの北部に位置する島。ヨルングの居住区で、多くの儀式が行われる。
*モーニングスター (Morning Star)
明けの明星を祝う祭り。羽根飾りのついた長い棒を使う。
*ジェレミー・クローク
イリカラ・アートセンターで働くニュージーランド人。数少ないヨルングの理解者であり白人イダキ奏者としても有名。
* バディクパ・グルウィウィ (Badikupa Gurruwiwi)
ジャルーと同じガルプ・グループに属す長老。イダキ職人、樹皮画アーティストとしても有名。
* ジャルー・グルウィウィ (Djalu Gurruwiwi)
ガルプ・グループの長老。イダキマスターとしてあまりにも有名。
* ノンゴ (Ngongu)
ロロウィ出身のイダキ奏者。イダキフェスタで来日。イダキ職人としても日本でも人気がある。
*ケアンズ(Cairns)
クィーンズランド州北部の観光地。日本からの飛行機が一番集中する場所。
* イリイリンゴ (Yiriyiringu)
ロロウィ出身のソングマン。イダキフェスタで来日。
*アドプト (adopt)
非アボリジニがヨルングの養子となり、ファミリーとして認められること。
* ドフィア(Dophiya)
ジャルーの奥さん。樹皮画やイダキのペインターとしても知られる。

* グマチ (Gumatji)
言語族のひとつ。ヨスインディのユヌピング・ファミリーが有名。
* 半族
ヨルングの社会ではすべてのものが2つのグループに分けられている。ひとつはドゥア、ひとつはイリチャという。
* レイナ・エアー (LAYNHA AIR)
アーネムランドの主要部をカバーする航空会社。ほとんどがチャーター便。
* ウィンフィールド・ブルー (Winfield Blue)
オーストラリアのたばこのブランド。ほとんどのヨルングがこのたばこを好む。
* ダンガル (Dangul)
ジャルーの妹にあたる。英語が流ちょう。
* リタリタ (Lita Lita)
エルコ島在住のイダキ職人。
* キンシップ (Kin Ship)
半族の考えから、生まれたときからスキンネームが与えられ、ヨルングの部族の中での位置関係が決まる。男性の場合(女性の場合は不明)は結婚した相手(またはその兄弟)の母親にあたる人物とは口を利いてはいけないらしい。)
* ペーパーバーク(Paper Bark)
オーストラリアに生息する木の名前。樹皮が紙のようにはがれることから付いた。
*ミルワンガ (Mirrwatnga)
ダリンボイ出身の若手イダキ職人。イダキフェスタで来日。
*ガッパン (Gapan)
石灰のような石のこと。儀式の時には砕いたものを水で溶いて体に塗る。 * ディジュリドゥ・マガジン (Didgeridoo & Co. Magazine)
ドイツで発行されているディジュリドゥの雑誌。
*ヨス・インディ (Yothu Yindi)
母と子を指し、2つのグループが血縁関係にあることを指す。アボリジニのロックバンドの名前としても有名。
* 裸足の1500マイル (Rabbit Proof Fence)
昨年日本でも公開されたアボリジニの映画。
* ジャパナ (Djapana)
日の入りの時間。この時間はイリチャの時間で、日が沈み、夕焼けにナル時間からはドゥアの時間となる。
* ワコ (Waku)
甥っ子のこと。
* ビルマ (Bilma)
儀式に使う拍子木。クラップスティックともいう。
*ナランボイ (Nhulungbuy)
北東アーネムランドの玄関口。ボーキサイトがとれるため白人鉱夫の姿も多い。
* 礼拝 (Service)
アボリジニの多くはクリスチャンで、日曜日には礼拝に参加する。ただし現在は一部の女性と老人がほとんどで若者は参加していないのが現状。

3 thoughts on “[訪問記]Elcho Island Report 1(2003年)

  1. 素晴らしい体験をシェアして頂きありがとうございます。

    1つお聞きしたい事があるのですが、ヨルングの人達が儀式の時にガッパンを水に溶いて塗る事にはどんな意味があるのでしょうか?

    またヨルングの文化に興味があり、彼らのようにガッパンの様に石灰を身体に塗ったら彼らに対して失礼にあたりますか?

    教えていただけたら嬉しいです。

  2. ご質問ありがとうございます。
    詳しくはわかりませんが、ガッパンは粉状ですので、水で溶かないと身体に付着させることができません。
    そのため水で溶いて身体に塗るというのが正式なやり方のようです。

    同じようにガッパンを塗るというのは失礼には当たらないと思いますが、
    ある程度、知識を持ってからやって頂ければと思います。

  3. 質問に対しての解答をいただきありがとうございます。
    おっしゃる通りヨルングの文化をこれからも少しずつでも知って理解出来る事があれば良いなと思います。
    いつも素晴らしい体験などを共有していただいて感謝してます。

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