Galiwin’ku Marrtji!! Part 2(ガリウィンコへ行こう!!第2章 )
はじめに・・・
文章中、ヨルング語が出てきますが、スペルなど一部間違っている場合があります。すべての写真は撮影に関してピーターの許可を取っていますが、写真の転載、複写などは堅くお断りしています。
エルコ島が呼んでいた。
GWツアーの後イリカラに5日ほど滞在する予定だったが、親友であるジェレミーがNZでの滞在を延期したため、ジェレミーの代わりに働いているランディというアメリカ人のスタッフに宿泊を頼んだもののちょっと気が引けた。ちょうどパートナーが2ヶ月ほどアメリカに帰るということもあり、彼らのプライバシーを邪魔したくなかったのだ。 すでにオーストラリアへ行く1週間ぐらい前のことだった。
もうしばらく行けないと思っていたエルコ島が呼んでいるように感じた。エルコ島が何かを与えてくれるような気がしたのだ。ただ今回は前回と違ってジェレミーにおんぶにだっこというわけにはいかない。「初めてのおつかい」ならぬ「はじめてのエルコ一人旅」である。 エルコにいくためには3つの条件をクリアしなければならない。
ひとつは 交通手段。これはランディがアレンジしてくれた。前回はチャーターフライトを使ったが、今回は一人なので定期便を利用した。1日に3便。すでに朝一番の便は満席で、11時45分発の他のコミュニティ経由のものを予約した。帰りは日曜日の最終便。これでまず第1関門は突破した。次に宿泊。エルコに到着してから知ったのだがゲストハウスがあるそうだ。ゲストハウスは旅行客のものではなく、会計事務所などの一時就労者のものである。私の場合、エルコにすむ白人の一般宅を探す必要があった。そして最後にエルコ島に入るための許可をとること。一般的に旅行者は数少ないツアーなどで入るしかない。ただ「イダキを習いたい」とか「アートをみたい」とか言う理由では入島は難しい。かえってエルコにすむ人たちに迷惑をかけてしまうからだ。一番はっきりした理由は、アボリジニに養子として迎えられること。養子については昨年11月訪問の報告記を参考にしてほしい。幸運にもジャルーの奥さんであるドフィアに養子として迎えられていたので、物事がスムーズにいった。また昨年12月に来日した3名のヨルングがエルコ島にすんでいたので、彼らに会うという正当な理由もあった。 しかしながら宿泊と許可のアレンジに手間取った。アレンジを約束してくれたスティーブ(12月の来日時のコーディネーター)がオーエンペリという居住区にいたため思うように連絡が取れなかったためだ。しかしながらエルコへの出発3日前にアートセンター経由でなんとか許可が下りた。宿泊もOKとの返事。さあ、いざエルコへ!!
5月7日(金)
11時半にゴーブ空港に到着。まだ空港のスタッフがきていない。空港まで送ってくれたランディを先に帰らせた。11時45分。まだ誰も来ない。同じ飛行機に乗る予定のアボリジニのおばちゃんと「いったいどうしたんだろう?」とはなしていたらスタッフがやってくる。どうやら飛行機が故障して2~3時以降のフライトに変更になるという。仕方がないので空港職員のランチルームで、紅茶を飲みながらボーディング・タイムまでパソコンでもいじってのんびりすることにした。 12時を少し回ったとき、一人の男性職員がやってきて「すぐに下にきてくれ」といった。どうやら別の飛行機が手配できたようだ。しかもダイレクトにエルコに入れるので予定通りの午後1時にエルコ島に入れるそうだ。ただし飛行機が予定よりも小さいので荷物はあとから到着することになった。飛行機は前回と同じ6人乗りのセスナ。あわただしく出発して、気がつけば前方にはエルコ島が見えた。
空港にはショートカットの自分よりもやや年齢が上の白人の女性が迎えにきてくれた。彼女の名はジニー。彼女はアートセンターで働く女性である。彼女はまず自分のうちに連れて行ってくれて、お互いに自己紹介がてらいろいろな話をした。彼女はややエルコ島での生活に疲れているようだった。以前エルコにすむ人から聞いたことがある。学校の先生や会計士など多くの白人が勇んでやってくるが彼らの生活習慣や、たびたび起こる問題に直視できず帰っていくのだそうだ。彼女もそうならないことを願うが。ひとしきり話をした後、いよいよピーター・ダジンとの再会である。
ジニーがピーターの家まで連れて行ってくれる。するとピーターのファミリーが出てくる。ピーターは家にいないとジェスチャーする。このまま今日はあえないのかな?と思ったそのとき、50mくらいはなれた後ろの家から上半身裸の黒いサングラスをかけたぼさぼさ頭の男性が出てきた。ピーターだ!両手を広げてお互いの再会を喜んだ。来日の時のように厚着ではない他は、彼はなにも変わっていなかった。「Nha Mirri!(元気?)」そう彼に話しかけると、「Yo! Manymak!」とうれしそうに答える。 彼の家族を紹介してもらう。「これが、俺の爺様。こっちが娘たち、これが嫁さん、この子はあんたの姪っ子だ。」とてもじゃないが一度に覚えきれない。でも日本からの珍客を皆暖かく迎えてくれた。「トムやブタラピは元気?」「ああ、元気だとも。僕らは来週シンガポールに行くんだ。」ピーターがうれしそうに答える。「これからトムのところに行こう。ちょっと上着をとってくらあ。」彼はそういって家の中に消えた。サトウキビを加えた姪っ子(WAKU)と紹介された目のきれいな6歳ぐらいの少女が自分に興味を持ったのか、ヨルングの言葉でいろいろと話しかけてくる。カメラを取り出すと恥ずかしがって顔を隠す。他の家族から「どうせだから撮ってもらいなさい。」とでも言われたのか観念してちょっとだけ微笑んでくれた。
赤いチェックの上着を窮屈そうに羽織ってピーターがでてきた。「すぐそこだから歩いていこう」そういってフットボールの競技場(というよりただの野っぱらだが)の脇の道を歩いた。「この競技場の向こう側に家が見えるだろう?あれがグルウィウィ・ファミリーが住んでる場所。そう、ガルプの場所だ。で、おいらがすんでいるのがグマチの場所。」そう教えてくれた。「トムの家はこの道のはずれにあるんだ」そういって5分ほど歩くと、家のベランダから手を振る若い男性を発見した。偉大な若手イダキ奏者、トム・ダカルニー・ウヌンムラだ。彼には山ほど習いたいことがあるけど、今日はとにかく再会を楽しもう、そう思った。彼はベランダに彼の兄弟と一緒にいた。トムはピーターより英語が達者なので行っていることが理解できた。「これが俺の兄弟、それから息子たち、こっちが嫁さんだ」またファミリーを紹介されたがなかなか覚えきれない。ヨルングの社会には一つの大きな家族、という考えがある。だから養子になった自分にはこの島にすむ全員が家族なのだ。だからトムのことをWAWA(兄弟)と呼び、彼の兄弟もまた自分にとってWAWAなのだ。他に自分の母にあたる人をガレイと呼び、その女性の姉妹は皆、ガレイとなる。時には自分より年下なのに母親に当たる人もいる。トムと兄弟に12月の写真を見せながら、いろいろ話をした。12月の来日の時に約束した言葉を言ってみた。「Marritjina fishing lili! (フィッシングに行こう!)」そういうとトムはうれしそうにその言葉を繰り返した。明日釣りに行く約束を取り付けたが、結局は彼とは釣りには行けなかった。
トムの家を離れ再びピーターの家に戻る。ピーターの爺様と、娘たちと一緒にしばらく外で座って話をしていると、遠くから白髪の男性が近づいてきた。そう、12月にすばらしいダンスを披露したブタラピことリチャード・ダイムタ・グルウィウィである。久しぶりに会った彼はちっとも変わっていなかった。むしろ元気な様子だった。これで3人と再会できた。 ピーターが、いろいろ案内してやると、ジニーから車を借りていろいろ連れて行ってくれた。前回の訪問とは違い、町はとても静かだ。葬式が行われていないので、島に滞在している人も少ないためである。これが彼らの日常なのだろう。車で10分も走れば家のないブッシュになる。「この海岸は神聖な海岸なんだ」「この2つのオブジェクトは神聖なビルマ(クラップスティック)を表しているんだ」この島には彼らの精霊がすんでいる、そう確信した。 町に戻ると、空港へ荷物を取りに行く。ピーターにおみやげのウィンフィールド・ブルー(彼らの好きなたばこ)を免税店で買ってきたことを告げると、彼は荷物が待ちきれなかったようだ。空港に着くとまだ荷物は届いていなかった。3時に届くと行っていたのに5時頃になるようだという。ピーターと町に戻る。するとバティクパじいさんと出くわした。「Ngapipi! Nha Mirri!(おじさん、元気かい?)」そう訪ねると「Yo, Waku, Rupia ka?(よう、甥っ子、お金くれよ。)」と表情一つ変えず聞いてくる。「Bayangu Rupia(お金ないよ)」そう答えた。こっちではほとんどの人がお金を持たない。ファミリーの誰かが金を稼ぐとみんなで分け合う。まるで日常の会話のように「たばこくれ」「お金くれ」と聞いてくる。開口一番、そういう挨拶を受けるようになったらそれは家族として認められた証拠だ。それでもそのたび、お金やたばこを与えていてはいくらお金があっても足りない。だから断るときは断った方がいい。ただ自分が一番世話になった人にはできるだけお金を使うことにしている。それが本当に正しいかどうかなんて誰にもわからないだろうけど。ピーターが「飯を買いに行こう」という。「買いに行こう」とは「買ってくれ」という意味である。今日から世話になるピーターなので快く了解した。車は町一番のスーパーへ着く。ガリウィンコにはスーパーが一つ、テイクアウトのお店が2つある。これらが彼らの買い物できる場所のすべてである。スーパーに隣接されたテイクアウトのお店でピーターはハンバーガー4つとご飯とおかずの入ったランチボックスを4つ注文した。一緒に車に乗っていた娘たちが好きなものを手にする。かわいい姪っ子はホットドッグを食べたがったがお店にはなく、仕方なくハンバーガーを手にした。彼女は車の中ではいつも自分に寄り添っていろいろ話しかけてきた。ヨルングの子供は本当に警戒心がなく、人なつっこい。青鼻を垂らした小さな子は当たり前のように人の膝に座り込んできたりする。本当に愛くるしい子たちばかりである。また空港に戻るとあと5分で荷物を乗せた飛行機が到着するという。しばらくすると1機の小さなセスナが到着する。ようやく荷物を受け取ることができた。ピーターにたばこを渡す前にたばこを3箱ほど抜き取っておいた。これからいろんな人にたばこをせがまれると思ったからだ。残りのたばこを渡すとピーターはちょっと微笑んだ。夕方、そろそろ今日の宿泊先へ帰らなくてはならない時間になった。今回はGALIWIN’KU COUNCILにつとめるマイクとヘザーという自分の両親ぐらいの年齢の白人宅に泊まることになった。別れ際ピーターが「明日朝迎えに行くよ。その前に自分のボートのためのガソリンを買いたいんだ。90ドル出してくれないか?」一瞬ちょっと高いな?と迷ったがその金額が明日とてつもなく安く感じるほどすばらしい体験ができるとはまだ知らなかった。それでも明日釣りに連れて行ってくれるのだから仕方ないな、と思い90ドルを渡す。「Nhama Godarr(また明日)」とピーターと別れた。遠くでビルマの音がする。男性たちが歌っている。まもなくセレモニーが始まるのかもしれない。
5月8日(土)
翌朝、早くに目が覚める。鳥のさえずり、アボリジニの子供の声、今にも壊れそうな4WDの走る音。まるでストレスなんて言葉はこの島には存在しないようなそんな朝だ。9時をすぎてもピーターは現れない。待ちきれずに彼の家へ向かう。ピーターの爺さんが外にいた。赤いシャツを着た爺さんが手を振る。「Whanaka Peter?(ピーターはどこ?)」かれは英語で「今車を取りに行ってるよ。」教えてくれた。「若いの、たばこはあるかい?」彼はそう訪ねてきた。しまった。昨日抜いた3箱を家に忘れてきてしまった。「爺さん、たばこ家にあるから、ちょっととってくる」そう伝え自分が持参したイダキと食料を爺さんに預けてとりに戻る。戻ると爺さんは犬に食べられまいと食料の入った袋を抱えていた。長老にこんなことさせてよかったのかな?とりあえずお詫びの意味も込めてたばこを1箱差し出す。程なくピーターが戻ってきた。ジニーから車を借りたのだが、ボートを運ぶカートをつなぐ突起がついていないので、彼らのおんぼろの車も使うという。「ガソリン代20ドルを彼に渡してくれ」そう頼まれた。「あと食料、おまえの釣りのリールや、ビリー缶も買わなきゃ。」スーパーで食料を買い込み、ガソリンスタンドで釣りのリールとビリー缶を買った。自分の財布にはキャッシュが少なくなってきた。「これ以上買ったら破産しちゃうよ」と笑って見せたら「すまん、すまん」とピーターが照れ笑いした。町中なら銀行へ行ってお金をおろせるのだけれど、ここには銀行がない。現金が底をついたら困ることになるのだ。それでも自分を釣りに連れて行ってくれるということは、彼らにとっては大変なおもてなしであることは間違いない。
結局町を出発したのは11時をすぎてからだった。まずボートをおろせる海岸に行き、そこからボート組、車組にわかれて目的のビーチに行く予定だった。ピーターの運転する車がボートをおろす海岸に着くとすでにボートを運んだおんぼろ車がボートをおろしていた。しかしながらその車は砂地にタイヤがスタックしてしまったようで、海岸を背に動けないようだった。ピーターの車とおんぼろ車をロープで縛って、引き出すことにした。ゆるんだロープが次第にピンと張って少しおんぼろ車が動き出そうとした瞬間!「ぶちっ!」ロープが切れる。するとおんぼろ車はゆっくりと海へ向かって動き出した。アボリジニのおばちゃんが「あんれまー!」とでも行っているように叫ぶ。むなしくもおんぼろ車は海の中に半分ぐらい浸かって止まった。ピーターがため息をつく。「あの車ブレーキの利きが悪いんだよ」なんと恐ろしい。ブレーキがきちんと利かない車を運転するなんて!それでもみんな笑っている。のんきなものだ。別のロープで縛って10分後に引き上げに成功。引き上げた車のマフラーからはエンジンを吹かすたびに黒いものが飛び出てくる。なんとか廃車は免れたようだ。
ピーターの車は無事ボートが出発したのを見届けると、目的の海岸まで車を走らせた。約20分。森を抜けるとそこには小さな美しい海岸が広がる。「ここでボートを待とう」ピーターが言う。 ここでピーターがゆっくり話し始める。 「このビーチは特別なビーチなんだ。海のすぐ向こうに対岸が見えるだろ?あっちは本土。あの対岸にMata Mataという場所がある。小さな村落だけど、そこは俺たちにとって大切な儀式をする場所なんだ。」エルコが最終地点ではなくまだまだ奥にはいろいろあるんだな、と感じる。
しばらくカーステレオから流れる地元バンドのさわやかな音楽を聴きながらボートを待っていると、対岸に立ち寄ったボートがこっちへ向かってきた。対岸を離れてわずか5分ほどでボートは到着した。ボートから2人の男が降りてきて、小さな魚を浜辺においた。ピーターはそれらを餌に釣りをはじめる。釣りといっても至ってシンプルだ。大きな釣り糸をまいたリールに針とおもりをつけて針に餌をつけて、まるでカーボーイの投げ縄のようにぐるぐる回して海に投げる。リールを地面においてあとはじっと待つだけ。こんなんでほんとに連れるんかな?と思ったが、ピーターは「トレバリとかスキニーフィッシュとか連れるんだ」という。5分もしないうちに突然、リールが独りでに海の方へ転がっていく。ピーターは走ってリールを追っかける。浅瀬で止まったリールをゆっくりたぐっていくと50cmはあろうか、大きな魚がはねる。ピーターは「スキニーフィッシュだ」と教えてくれた。その後も3匹のスキニーフィッシュを釣った。スキニーフィッシュはおいしい白身魚だ。そのまま焼いただけでも十分おいしかった。 ひとしきり釣りを楽しんだ後、3名の男たちがボートに乗り込んだ。ピーターはいう。「この海の潮がどんどん引いているだろ?この時間はジュゴンやウミガメが沖へと移動する時間なんだ。ぼくらはその時間を利用して狩りをするんだ。」彼らはこういう狩猟採取を何世代にも渡って受け継いできたのだ。誰にも彼らの狩猟採取を批判できる人はいないだろう。実際、この地域のヨルングの人たちはウミガメやジュゴンの漁を許されているのだ。「おまえも一緒に行くかい?」思いがけずピーターが聞いた。もちろん!急いでカメラを車において(万が一海に落とすことを心配して)ボートに乗り込んだ。 ボートに乗っているのは3名の男性。一人は船の先端に立ち、槍をもっている。もう一人は後ろで舵をとる。もう一人は真ん中で水面をみて陰を探している。私も一緒になって海面を見続けた。先端の男はロープのついた鏃(やじり)を見せて「これはジュゴン用、こっちはウミガメ用。」と教えてくれた。ボートは沖へ沖へと進む。時折先端の男が舵トリの男に方向を指示する。自分もその方向をみるが、全く持ってわからない。時々何か黒いものが見えたりするが、大きな木の枝だったり、海草だったりした。30分ぐらいたっただろうか、急にあわただしくなった。一瞬だが先方に大きな陰が見えた。ジュゴンだ!男たちは近づいたがすぐに海の中に消えてしまった。しばらく探したが、見つけることはできなかった。そんなことがあと2~3回あった後先端の男が「今日はだめだな」と急に優しい顔になって微笑んだ。「次はウミガメだ」そう言うとボートはもといた海岸に近い方に移動した。内海に入るとかなり波は穏やかになる。ボートもほとんど揺れなかった。男たちはエンジンを切るとじっと海面を見つめた。10分ぐらいするとまた別の場所へ移動してエンジンを切る。そんなことを数回繰り返した。男たちは時折「ブルル」と口ずさむ。これはウミガメを呼ぶ合図だという。自分もまねしてみた。「そうそう!」彼は喜んだ。私はその後も繰り返し口ずさんだ。
30分ぐらいたっただろうか?日差しが強くじりじり日焼けしてきたのがわかる。そのときピーターの言葉を思い出していた。「この海の潮がどんどん引いているだろ?この時間はジュゴンやウミガメが沖へと移動する時間なんだ。ぼくらはその時間を利用して狩りをするんだ。」 そのことを思い出しながら、また「ブルル」と口ずさんだ、そのとき!自分の左手前方にウミガメが首を出したのだ!あっ!と思ったときにはすでに槍が飛んでいた。ウミガメはすぐに姿をけしたが鏃のついたロープは見る見るうちに海へ吸い込まれていく。そしてロープにつけられた丸い発泡スチロールの浮きが流されていく。「やっったああああ!!」男たちは歓声をあげた。いままで寡黙だった男たちが嬉しそうに叫んだ。私も叫んだ。興奮した。「Yindi Miyapunu!(でっかいウミガメだ)」男たちも興奮していた。それにしても一瞬の出来事だった。でもどうやって海の深いところにもぐったウミガメを引き上げるんだろう?そう思っていると鏃のとれた槍の先にもう一つの鏃をつける。そしてまた浮き上がっていくるところをねらうのだ。慎重に男はロープをたぐり寄せる。無理に引っ張っては1本のロープだけでは逃げられてしまう。ときおりロープをゆるめ、ときおりロープをたぐる。ウミガメは方向を変えて逃げようとしているのがわかった。15分はたっただろうか?男たちが「よし、上がってきたぞ」と叫んだ。ウミガメの甲良が見えてきた。そこにもう一つ鏃がささる。そして男たちは2本の鏃のついたロープをゆるめることはなかった。それにしても大きなウミガメだ。重さも自分の体重以上はあるだろう。2人の男が前ひれをつかみ、ボートに乗せようとする。私ももう一人も加わって4人がかりで持ち上げようとした。ウミガメはまるで人間のようにはーはー息をしている。何度か試みたが無理だ。男たちは苦笑いして前ひれにロープを結びつけてボートの脇にくくりつけて岸まで移動することになった。ウミガメが岸まで運ばれ岸でボートの中にようやく運び入れられた頃、自分の中の感情の変化が起こっているのがわかった。「本当にこの人たちはこのウミガメを殺して食べてしまうのか?」次第にいたたまれないような気持ちになり、何か不安のようなものを感じずにはいられなかった。やはり自分は農耕民族なのかな?とも思った。
ボートは別の海岸に移動し、私たちも車で移動した。ボートの中には観念したウミガメがじっとしてた。本能的に殺されることがわかっているのか、やや悲しそうな顔に見えた。あまりに大きな亀なので車にロープをつけて引きずるようにして運びあげた。ピーターの家族はたき火を作り、ピーターはまるで肉屋のようにナイフを研ぐ。ここから先はとても文章にするのはあまりにもショッキングなので割愛するが、ウミガメが殺された後、思わず手を合わせてしまった。ピーターは「仕方ないさ」そんな顔をして私を見つめた。それでも殺されるウミガメをみながら誰一人悲しい顔をするものはいないし、姪っ子に至ってはにこにこしている。恐るべし、狩猟採取人種! そんなショッキングな処刑シーンをみた後でもとりあえず味見はしてみた。腸の皮はイカのような歯ごたえで、実の味はなんとも深みのあるお肉だった。生臭さはあるものの予想に反しておいしかった。血の混じったスープも多くの栄養が含まれているらしく見た目より飲みやすかった。ピーターは小一時間かけてすべての肉を裁いた。そして気がつけば多くのファミリーがそれらの肉を分け合って持ち帰った。 今日1日は本当に長く疲れた。日焼けと汚れ、そして壮絶なウミガメ漁のせいだろう。本当に疲れた。
5月9日(日)
今朝はアートセンターのジニーと彼のパートナーのスモーキー、そして教師をしているジョンとビーチで朝食をとる。その後アートセンターにより、滞在先に昼頃もどる。昨日の疲れがたまっていたせいか、ピーターたちに会いに行く気力もなく3時頃まで再び寝てしまった。それでもがんばって5時半の飛行機で出発する前に、ピーターたちに挨拶に行くことにした。町の中を歩くととても静かだった。遠くからアボリジニバンドが庭で練習している音楽が聞こえてくる。ピーターの家につくと昨日亀をしとめた男が外でくつろいでた。「ピーターは?」と聞くと家にいるという。どうやら寝ていたようだ。「昨日はすごい日だったからなあ、今日は1日ねちまったよ。」という。また再会を誓って別れた。それからトムの家へ向かった。結局トムにイダキを教えてもらう時間がなくなってしまった。それだけがちょっと心残りだ。次回の再会では教えてもらおう。そう考えながら道を歩いた。家の前に座っている人がこっちをみて手を振る。僕も手を振る。素っ裸の子供たちが僕をみて「ジャパン、ジャパン」といいながら笑う。なんとも穏やかな日だ。トムの家につくと、トムの奥さんが私に気づきトムを呼びに行く。上半身裸でいいおとうさんをしてるトムを発見した。「昨日はピーターとおおきな亀を捕まえたよ」「そうかい、昨日おまえが泊まっている家を探したんだけどわからなくてなあ。」トムはピーターとは違う家族なので釣りには行けなかったようだ。そのあたりはヨルングは一つの家族といっても複雑な事情はあるようだ。私は再会を約束し、彼の家族写真を撮って別れた。 今回の旅ではイダキの体験はさほどなかったが、ウミガメ漁はある意味葬式の体験以上に印象深いものだった。狩猟採取の彼らの文化を少しでも理解していくことはきっと今後の自分のイダキ演奏、アボリジニ文化体験にとってはなくてはならないものだろう。次はいつエルコにくるかわからない。でもまた呼ばれる日もそう遠くないだろう。帰りの飛行機からみたエルコは眩しかった。(文・写真 哲J)