私にとってトップエンドを訪れるのはこれが4度目になるが、未だ体験したことがない「あること」を今回は実現したいと思っていた。それは「アボリジニのコミュニティへ行ってみたい」ということだ。通常アボリジニのコミュニティに入るには許可が必要で、特別な理由がなかったり、いわゆる「コネ」がなければ許可はおりないのだ。ただの観光客である私にとって許可をとるのは至難の業で、たとえ取れたとしても長期で滞在するのは仕事を辞めない限り無理なことだった。しかし、実は観光客でもコミュニティに入ることができる方法がひとつある。「ツアー」に参加することである。一般的に催行されるツアーであれば場所や期間は限定されるもののコミュニティに入ることは可能なのだ。
ディジュリドゥプレーヤーの私としてはもちろんその発祥の地でもあるアーネムランドは魅力的だったが、どうせ行くなら2~3泊するようなツアーでじっくり体験してみたかったし、欲を言えば滞在許可を取って2~3カ月位いたい、というのが本音でもあった。しかし予算的にも日程的にも、悲しいかな「1日」という条件がある。
そんな時、いっしょにトップエンド入りする家内が紫色のパンフレットを持ってきて「此処に行きたい」という。そのパンフレットには “TIWI TOURS”と書かれてある。そういえばダーウィン空襲を調べている家内が以前からティウィ島へ行きたいと言っていたのを思い出した。家内によると1942年に日本軍がダーウィンを空襲したとき、1機の零戦がティウィ島に不時着し、そのパイロットがティウィ族の男性に捕らえられた場所だそうだ。最初はなぜかあまり興味が無く、家内の希望にもお茶を濁していたが、その差し出されたパンフレットを見て急に興味が湧いてきたのだ。もちろんティウィ島がアボリジニのコミュニティであることも理由の一つであるが、そのパンフレットの裏面にあったプロペラ機に目を奪われたのだ。オレンジと赤を基調としたボディにアボリジナル・アートが描かれてある。そしてそのプロペラ機の前に並ぶアボリジニ女性のスチュワーデス達。おお、これだけでもこのツアーに乗ってみる価値はある!気分はすっかりティウィ島へ飛んでいた。
ティウィ島へ行くからにはやはりティウィ島について少しでも知っておく必要がある。ティウィ島はダーウィンの北、約80キロの所に位置するバサースト島とメルビル島の2つの島からなり、この2つの島に住むアボリジニをティウィ族と呼ぶ。ティウィとは彼らの言葉で “We, people”の意味で、本土のアボリジニとはまた違った独特な文化を持つ。バサースト島の面積は800平方マイル、メルビル島は2400平方マイル。タスマニア島を除けばオーストラリアで最大級の島である。しかしながら彼らの生活、文化、音楽、芸術、歴史などについてはよくわからなかった。
ダーウィンに出発する3週間前に現地の友人にFAXを入れてツアーの申し込みをした。現地ツアーオペレーターに勤務するその友人のおかげでツアー料金を少々割引してもらった。ちなみに通常のツアー料金は1日ツアーで$240である。しかし送られてきたツアー申し込み確認書を見て家内はちょっとガッカリしていた。聞けば5~11月に催行されるツアーと12月~4月のそれとは内容が少し違い、どちらもバサースト島が中心だが12~4月のツアーだとメルビル島へのボートツアーが含まれている。私たちが申し込んだのは4月30日のツアー、なのに届いた確認書は5月~11月のツアー内容なのだ。家内がメルビル島にこだわる最大の理由は、このメルビル島に零戦が墜落したので、家内はその島に一度行ってみたかったのだという。それでもツアーのハイライトを見れば盛りだくさんで、遊覧飛行、バサースト島の中心地Nguiuのコミュニティ見学、博物館、教会等の見学、アート、クラフト、森林の中のドライブ、フレッシュウォーターでの水泳、ピクニックランチ、ブッシュウォーキングなど、ツアーをキャンセルする理由はなかった。その中でも最も興味をそそられたのが「ティウィ・レディースとのモーニングティ」。ティウィ・レディース、何かその響きが私にとって魅力的であった。そして何よりもアボリジニのコミュニティー初体験である。
4月30日ついに、その日の朝を迎えた。このツアーはダーウィン空港集合、解散なので自力で空港まで行かなくてはならなかった。朝8時までに空港集合なので市内7時半頃出る。タクシーを探そうとモールの向かいにタクシー乗り場があるのでそこまで歩いた。乗り場にはタクシーが1台止まっていた。「よかった」そう思って、窓をノックして車内を指さし「乗っていいか?」とたずねた。ところがドライバーは無愛想に首を横に振った。どうやら勤務明けだったようだ。「なら、ここに止まってるなよ!」と文句の一つもいいたいところだが、ついつい笑顔で “That’s O.K.”といってしまった自分がちょっとイヤになった。そのあとタクシーは来る気配がなく、プラザホテルの前へ行ってみたがそこにもタクシーはなかった。ダーウィンの朝はタクシーどころか普通の車も少ないのだ。仕方なくインフォメーションセンターの前からタクシー会社へ電話を入れてみた。すると通りの先からすぐにタクシーが来た。そんなに大きな町でもないのに一体どこに隠れていたのだろうか?面倒に思わずにやはりタクシーを呼んだほうがいいと少々反省した。
とりあえず無事タクシーに乗り込み空港へ行くように告げた。しばらく走るとドライバーがたずねる。「カカドゥへ行くのかい?」おそらくドライバーは私たちの荷物が少ないことからカカドゥ国立公園へセスナで行くツアーに参加するのかと推測したのだろう。「いや、ティウィへ行くんです」と答えると「ティウィか。美しい所だよ」とドライバーは誇らしげに言う。「行ったことあるの?」と当然のごとく私が聞くと「いや、友達がそう言ってたよ」とドライバー。いい加減なものである。
約15分でダーウィン空港に着く。あらかじめダーウィンに着いた日に確認したとおり、空港ロビーの左奥にあるエアーノースのチェックインカウンターへ行く。名前を告げるとツアー参加者名簿の中から私たちの名前を確認して帰りの航空券を受け取る。行きのチケットや搭乗券はなく、GATE6 で待つように言われた。2階にある通常のゲートと違い、GATE6は1階のバゲージターミナルのすぐ脇にあり、まるで社員通用口のようなちょっと寂しい入口である。一応通路の上にはフライトインフォメーションのディスプレイがあるのでゲートには違いないようだ。少々時間があるのでインフォメーションカウンターでダーウィンの資料を集めたりしていたがすぐに飽きてしまいゲートの前に戻る。あたりを見ると、どうやら自分たちを含めて16名が乗るようだ。そのほとんどがツアー参加者だが、中にはティウィ島に住む白人の姿もある。私たちを除いては全員白人である。確かに日本のツアーでティウィ島へ行く、というのは聞いたことがない。
そろそろ搭乗時間というのに全くゲートが開く気配がない。気が付けばゲートの案内も次のフライトを表示している。出発時刻から10分が過ぎた頃、4名ぐらいの白人のカップルの中の1人の女性がチェックインカウンターへ行く。私たちも彼女がフライトのことを聞きに行ったのは様子で分かっていたので聞き耳を立ててみる。すぐに戻ってきた彼女は「『もう間もなく』だって。」とあきれたように答える。やがて15分が過ぎた頃無愛想な男性が名簿を持って現れた。いよいよ出発だ。アボリジニのスチュワーデス、アボリジナル・アートで彩られたプロペラ機とご対面である。他の乗客と共にゲートを出て左へ歩くとそこにはあのアボリジナル・アート・プロペラ機が・・・なかった。そこにあるのはボーディーに青い線の入ったエアーノースと書かれた非常に小さなプロペラ機であの無愛想な男性がどうやらパイロットのようだ。体を丸めてようやく入れるような入口から機内にはいると薄汚れたシープスキンでカバーされた座席があり、すでに乗り込んでいた他の白人客は窮屈そうに座っていた。おせじにも心地よいとは言えない。ああ、アボリジニのスチュワーデスは一体どこに?「詐欺だ!これは立派な詐欺だ!」そう言いたい気持ちを抑えて、観念して出発を待った。パイロットは無表情のまま何か言っていたが失望で気が動転していた私には耳に入らなかった。しばらくしてエンジンが掛かりプロペラが回り始める。やがて滑走路に到着し、さらにプロペラの回転速度が上がると座席に妙なバイブレーションが走る。その震動がお尻を刺激してとても不快である。機体が速度を上げて滑走するとさらにその不快感が高まる。すぐに離陸するとその不快感はすぐになくなった。この日ダーウィンの天候は快晴。すぐに窓の外にダーウィン市街が見え始める。小さなプロペラ機なので空中で止まっているような感覚で、どうも前進している気がしない。それでもわずか15分でティウィ島の上空へ。上空から見るティウィ島は思っていたより大きな島で湿地帯と熱帯雨林が広がる。その中に滑走路が見え始め、あっと言う間に着陸してしまった。
ティウィの空港には勿論ターミナルというものは存在しない。狭い飛行機から降りると前方の鉄柵の向こうにまるでバスの待合い室のようなあずま屋があるだけである。そのあずま屋には白、赤、黄、黒などを基調としたカラフルな線画のアートが壁中に施されており、その前にはティウィの人たちが10人ぐらい座っている。とても穏やかな表情をするティウィの人たちにカメラを向けたくなる衝動に駆られたが、その気持ちをぐっとこらえた。もちろん見知らぬ人にいきなりカメラを向けるのはアボリジニでなくても失礼に当たるが、それ以上につい数カ月前に聞いたある事件が頭によぎった。
アーネムランドで、ある白人観光客がアボリジニの子供にカメラを向けるとそれに怒った部族の男がそのカメラを壊してしまったのだ。それに対して白人観光客は裁判をおこしたという。裁判の結果は知らないが、オーストラリアではこのことに対して国中で物議を醸したそうだ。そんな事件があったからこそとても写真を撮るわけにはいかなかった。
2~3分の間そのあずま屋で待っていると、向こうの方から白いミニバスが土煙をあげてやってきた。そのバスから真っ黒な顔にやけに白い歯が印象的なアボリジニの青年がおりてきた。余り他人に対して微笑まない今まであったアボリジニとは好対照の笑顔を絶やさない青年だった。どうやら今日のガイド兼ドライバーのようだ。言われるがままに20人乗り程度のミニバスに乗り込み、空港を後にした。これからドキドキのティウィ島初体験が始まる。
バスは鋪装されていない道をゆっくりと走り出した。
白い歯が印象的な青年は運転をしながら話を始めた。マイクが故障していたらしく一番後ろに座った僕にはちょっと聞き取りづらかったが、喋っている英語はわりと聞き取りやすかった。
彼の名前はマガリ、英語名はポールという。彼はメルビル島出身、純血のティウィ族である。彼によるとTIWIとはwith Peopleの意味で、TIWI族は本土のアボリジニと違う文化、違う言葉を持つているそうだ。確かに空港に描かれていたカラフルな線画は本土のアーネムランドのアボリジニが描くそれとはちょっと違っていた。ポールは話を続ける。人口はバサースト島は約2400人、メルビル島は約1000人。オーストラリア式のフットボールが人気だという。
しばらくブッシュの中を走ると住居があちこちに見え始め、やがてバサースト島の町の中心部に近付いた。
左側に立ち並ぶ住居よりも僕は右側に見えたものに興味を覚えた。そこには墓地があったのだ。アボリジニの墓地とはどんなものか御存じだろうか?他の部族はどうか分からないがTIWI族の墓には十字架と彼等のトーテムポールがあった。彼等はカトリック信者が多いようだ。
バスの中から町の中の主要な建物を見て回った。カトリックスクール、教会、住居など、明らかに白人が入植してきてから作られたものだ。それでもそれらの壁には自分達の伝統文化を主張するような、鮮やかな絵が描かれていた。ここもゆっくり見てみたい、あそこの中も覗いてみたい、そう思っても悲しいかな観光バスは過ぎていく。(実はあとからゆっくり見る時間があったのだけれど。)
バスは工場のような建物の前で止まった。最初の見学地だ。その入り口には
“BIMA WEAR”という木でできた上部が朽ち果てた看板が椰子の葉からわずかに覗いていた。そこはTIWI独特の染め物を使った衣類を生産している工場だそうだ。中に入るとティウィの女性達が数人旧式のブラザーのミシンの前で作業をしていた。大きなテーブルの上には染め物の木の版があり、何色もの塗られた染め物用のインクで汚れていた。作業をしている女性の服装もその染め物で作ったものらしい。女性達は黙々と作業を続ける。ラジオから軽快な音楽が流れている。作業をしている女性の写真を撮っていいか、とポールにたずねたら「いいよ」と白い歯が光った。壁にはたくさんの完成した布が並べられていた。
隣の部屋へ移るとちょっとしたショップがあり、いろいろなサイズの染め物が売られていた。友だちのお土産にティータオルを何枚か買った。本当はもっといろいろと買いたかったのだけれど、まだ時間はたっぷりある。きっとまた別の場所で欲しくなるものがあると思うからやめた。
外へ出ると遠くで TIWIの子供達が裸で歩いていた。
BIMA WEARを出たツアーご一行様は次なる場所へ移動した。白いミニバスは丸いトタン屋根でできた小さな体育館のような建物の前で止まった。壁には色鮮やかな絵が描かれており、表にはTIWIのトーテムポールがぽつんと立っていた。バスから降りながら建物の中の様子をうかがう。2人のTIWIのアボリジニたちがテーブルに向かって何かを描いている。外の日差しが強いせいか、それ以上は中の様子がわからなかった。
建物の中に入るとちょっとびっくりした。トンネルのような屋根の内側にはまるでパッチワークの模様のような鮮やかなTIWIアートが描かれていた。その天井とは対照的に建物の中は大きなテーブルが3セットぐらいあるだけで閑散としていた。
この作業場を取り仕切る白人の男性が説明を始める。ちょっと早口で言っている意味がわからなかった、というより壁に貼られた英文に目がいってしまったのだ。その張り紙には以下のように書かれていた。
NGARUWANA JIRRI (Helping one another)
a supported employment project funded by dept of design services (commonwealth) through the nguiu council)
簡単に言えば、このアートスタジオは政府機関によって援助を受けている、ということだろうか?ここで毎日絵を描いているTIWIの人々はどんなことを考えながら絵を描き続けているのだろうか?
アートスタジオの奥で他の観光客がなにやら物色してる。のぞき込むと大きな引き出しを開けて絵を見ているようだ。いろいろなサイズの販売用の絵が入っているのだ。サイズによって違うようだがだいたい1枚$30から$70位だ。家内と2人で記念に1枚買うことにした。あまり高い絵は買えないので小さな絵を選んだ。その絵は焦げ茶色の背景に稲妻のような光が八方へ広がっている絵だった。その光の波形の中心からエネルギーを感じた。
先ほどの白人の男性が他の観光客が買った絵を包んで精算をしてくれているのでその列の後ろに並んだ。自分の番が来たとき、その男性が私の買った絵を包むのをやめてアートスタジオ内にいるあるアボリジニの女性を呼んだ。
「こっちへ来てこの絵を持って写真を撮らせてあげなさい」
はじめどういう意味かわからなかったが次の一言で思わず嬉しくなった。
「実はこの絵は彼女が描いたものなんだ」
その絵を描いた女性は笑顔ひとつ見せず黙って絵を持ってこっちを向いた。私は嬉しくてシャッターを切った。「ありがとう」そういったが、その女性は何も言わずまたテーブルに向かって、絵を描き始めた。私の後に絵を買った女性もその絵の作者と面へ出て写真撮影をしていた。
ふと天井の絵を見るとその中の1枚に、まるでアボリジニの民族旗のような黒い空、赤い大地その地平線の向こうから上る太陽、そしてその赤い大地にはエミューとカンガルーが描かれていた。その絵だけでなく、TIWIの人たちの描くアートにはどれもエネルギーを感じずにはいられない。
しばらくしてポールがミニバスのエンジンをかけた。ツアー参加者は皆満足げにバスに集合した。
バスはまたすぐに近くの楕円形のクリケットグランドで止まった。ここでポールは大きなクーラーボックスをピックアップした。どうやら昼の食事が入っているらしい。
「次はどこへ行くの」ポールに聞いてみた。彼はまた白い歯を見せこういった。
「TIWI レディースとのモーニングティーさ」
TIWI島に来てから随分と時間がたったように感じていたが、まだ11時を回ったところだった。
「TIWI レディースとのモーニングティーさ」次の行き先を聞くとガイドのポールが白い歯を見せて笑った。
車で約5分ぐらい走ると芝生の木陰に地元の女性が数名何かの作業をしていた。ある人は干した草でかごを編み、ある人は鳥を象った木彫りの彫刻に色を付けている。女性たちは私たちが到着しても皆にこりともせず、作業を続けている。まずあずま屋の下で色づけをしている2人の女性の周りに集まる。すでに黒く色づけされている鳥の彫刻に白、黄、赤といったオーカー(岩絵の具)の3原色を小さな缶に解いて使っている。側に置かれたコーラのペットボトルには筆を洗う水が入っている。まず黒く塗られた鳥のくちばしを黄色に、羽の部分は3色の線画で綺麗に描かれている。止まり木の部分は赤色一色。そして最後に目を入れると出来上がりである。
興味深く見ているとガイドのポールが3色のオーカを手に近寄ってくる。
「オーカはこの3色。黒は炭を使っているんだ」
はいはい知っていますよ、なんて思いつつもちょっと感心したようにうなずいて見せた。するとポールは続けてこう言った。
「実は黄色のオーカを熱すると赤いオーカを作ることができるんだ」
おお、これは知らなかった!ダーウィン近辺だと赤色のオーカもたくさんあるのに、TIWIは違うのだろうか?
「それから白いオーカはカルシウムを多く含んでいるので胃薬としても使っているんだ」
えっ?本当か?(どなたか事実を知っている方、ご一報下さい。)
ビリーティとビスケットを頂いた後、外でかごを編んでいる2人の女性のところに近寄ってみた。ひとりはスカートが、もうひとりはTシャツが先ほどBIMA WEARで見たTIWI 独特のデザインだ。写真を撮っていいか、聞くとこちらも見ずにうなずく。彼女たちの作っているかごは、オーカで何色かに染められた草を使って編んでいる。まず底の部分を渦巻き上に編み、続けて側面を編む。日本の籐のかごに似ていてなぜか親近感を覚えた。
かご編みに気を取られていると、先ほどの鳥の彫刻が完成して乾かされていた。「いいなあ、いくらだろうか?」そんなことを考えている間に別のオーストラリア人がすでに商談を成立してしまった。どうやらツアー終了後に空港で商品を受け取るようだ。
気が付くと3~4歳のアボリジニの女の子が観光客の周りを走り回る。どこの国の子供も同じだなあ、そんなことを思っていると、彼女は木に登って悩ましげに(?)ポーズを取った。青鼻が出た顔があまりにもかわいかったのでポールに彼女の写真を撮っていいか聞いてみる。するとポールはTIWIの言葉でその女の子に「写真を撮ってもいいかい?」と聞いてくれた。彼女はそんな言葉に耳を傾けず相変わらず木の上でポーズを取っている。ポールは「OK,撮ってもいいよ」と苦笑いして答えた。いくらツアーとはいえ、写真撮影に制約のないアボリジナル・カルチャー・ツアーは珍しい。
子供に気を取られていると、かごを編んでいた女性がオーカを削り始めた。そして水に溶いたオーカを使って顔にペイントをはじめた。
女性たちは草を燃やしその煙で束ねた草をいぶらせ、それをツアー参加者の頭に振りかけ清めてくれた。
「みなさんのこれからの旅が何事もなく無事でありますように」
そうして彼女たちの歌と踊りが始まった。まずは歓迎の歌、クロコダイルの歌、そして女性たちは両手を広げ、日本軍の空襲を語り継ぐ、飛行機の歌を歌い始めた。その歌はいつまでも私の心に響きわたった。
ティウィ・レディースとのモーニングティを終えてやっぱり来て良かったと思った。彼らの芸術をそしてダンスを間近で体験できたことは自分にとって忘れられない思い出のひとつとなった。
皆車に乗り込み、ポールは何もないブッシュを駆け抜けた。その道は遙か先まで続き、意外にも目的地まで30分近く時間がかかった。道が終わっている場所に車を止めるとポールを先頭に皆ブッシュの中に入っていく。少し歩くと奥に雨風で少々朽ち果てたトーテムポールが5本見える。TIWIのトーテムポールの特徴は先に2つの「角」が付いている点であろう。この2つの角はTIWIの2つの島、メルビル島とバサースト島を象徴しているという。
トーテムポールのある場所はブッシュの中で最初はよくわからなかったが実は小高い丘の上にあった。そこから見えるティモール海は絶景であった。
近づいてみる。すると細かい線画が描かれているのがわかった。そのうちの一つには木の皮で出来た袋状のものをトーテムポールの頭にかぶせてある。
ポールによると、ここはあるTIWIの人のお墓だそうだ。その人はここから見る景色が好きだったのでこの場所にお墓を作ったのだそうだ。
ふと我に返ると、小腹が減ったのに気づく。そうだ、今朝は早くから起きてまだ何も食べていない。そう思っているとタイミング良く昼食になった。
車で15分ほど走ると水辺の近くで昼食を取ることになった。ピクニック形式の昼食を平らげると、皆水着になって水に入っていった。その水はちょっと鉄分が多いようで黄土色に見えたがよく見ると透明で小魚が泳いでいるのがわかった。私もおそるおそる入ると、まるで煙幕のように一気に水が濁った。ここで泳ぐのは嫌がる人もいるかもしれない。そう思ったもののしっかりブッシュに溶け込んだ私にとっては何でもなかったけど。
昼食の後、車は町の方に戻る。ある工場のようなところで車は止まった。屋外では2人の男性が木を削ってあのティウィレディースがペイントをしていた鳥の彫刻を彫っていた。今回のTIWIへ来た目的のひとつにTIWIのアートやクラフトを見てみたい、というのがあった。確かに午前中のアートギャラリー訪問やティウィ・レディースのペイントする彫刻にも感動したのだが、きっと潜在的にどこかで「1日のツアーで見て回るのはこんなもんか」と自分で勝手に納得していたようだ。でもその男たちを見たとき、きっとまだアートやクラフトを見る機会はある、と直感した。短パン1枚でTIWIの男たちは埃っぽい作業場で真剣に木を削っていた。今度は思い切って声をかけてみた。写真も撮らせてもらった。男たちは笑わなかったがその顔にはTIWIの誇りがうかがえた。
気が付くと他の参加者たちは一番大きな建物の中に入ってしまった。慌てて後を追って建物の中に入った。そこには・・・!。気持ちが高ぶった。思わず「おお~!すげ~」と本当にうなってしまったのだ」そこには今まで見てきたTIWIすべてがあった。アート、染め物、彫刻・・・。多くのTIWIの男と女が作業をしていた。今まで見たTIWIのアートよりもさらに細かい線を丁寧に描く人、白人女性とともにきめ細かいシルクスクリーンを慎重に動かしていく人、裏庭に出ると黒く塗られた鳥の彫刻を乾かす人。よく見れば、建物の壁、屋根、外の軽トラックまで鮮やかなTIWIアートで埋め尽くされている。TIWIのエネルギーを感じずにいられなかった。
次に立ち寄ったMuseumではTIWIの歴史が展示されていた。このTIWIに不時着した日本兵の写真などがそこにはあった。彼らにとってダーウィン空襲は彼らの歴史の中で大きな、大きな出来事であったに違いない。
最後に立ち寄った教会にもその「出来事」はあった。不時着した零戦のプロペラが小さな小屋の前に置いてある。その小屋からダーウィン空襲の一報を知らせたという。
TIWIの午後はあっという間だった。しかしこんな長い一日は日本の日常では味わえない、と思った。
たった一日だったがTIWIでの体験は自分にとって大きなエネルギーになった気がした。きっと帰ってくるだろう、またいつか・・・。 (おわり)