2024年11月21日

[報告記] Arnhem Land Report (2016年4月)

[前編]
報告した通り、Djalu Gurruwiwi氏の妹であるMs Gurruwiwi(亡くなられた方の名前は明記できないことになっているので)が亡くなられて、家族にお悔やみを伝えるのと、久しく仕入れていなかったイダキを仕入れることが目的です。

Goveへ向かう上空

今回もケアンズ経由で、アーネムランドに入りました。
ケアンズでは早朝に到着したにもかかわらず、ケアンズ在住の友人であるトムさん(日本人)に迎えに来てもらって、家で休ませてもらったり、お土産などを買うのに車を出してもらったりしてもらいました。

今回は、アーネムランドでもGarma Festivalに参加していた頃からのオージーの友人であるリックさんの家にお世話になっているので、とても助かっています。食事も作って頂けるし、車もレンタカー借りるより安く貸してもらえているので。アーネムランドは車がないと何もできません。

さて、話しはケアンズ空港でゴーブ(アーネムランド)行きの飛行機を待ってるときに戻ります。PCでネットをチェックしてるときに後から話しかけてくる人が。見るとジェレミーでした。ジェレミーはイダキ奏者であり、アートセンターでイダキの販売を担当する非常駐スタッフです。今回私の訪問にあわせてニュージーランドからアーネムランド入りしてくれました。ありがたい。「空港で待ってるから」と言ってたので、先入りしてゴーブ空港にいるものだと思っていたら、なんとニュージーから私と同じ日に到着してゴーブまで同じ飛行機でした。

いつもアーネムランド訪問ではこういった友人達にサポートを受けています。感謝の気持ちでいっぱいです。

さて、ゴーブ到着後、リックさんの家へ。
地元の人からいろいろと情報を得られるので、Djaluのファミリーの話も前もって聞けました。今Djaluはいつも住んでいるワラビービーチから離れて、一時的に町中にいるということ。そこはリックさんの家から徒歩圏内だと言うこと。早速翌朝に行くことに。

翌朝、アーネムランドは快晴。
気温も暑すぎず気持ちよい暖かさです。
朝食後アートセンターへ行く前に、リックさんに案内してもらってDjaluファミリーを訪問。

到着すると家の外で家族が座っています。

Djalu, 私を弟にしてくれた、Djaluの奥さんであるDopiya, 昔からよく面倒を見てくれるLennaとZelda, Lennaの娘のRiroがいました。

Liroはちっちゃいときのイメージしかないので大きくなっていてお母さんよりも背が伸びたそうです。

私が来ると、みな喜んでくれて、ハグをして再会を分かち合いました。今回は義姉さんのこともあるので、いつもの再会とはちょっと気持ちが違いましたね。いつも驚きの感情を余り表に出さず、それでいて一番義理人情に厚かった義姉さんがいないのが不思議でした。

沢山のお土産とケアンズで買った花を渡し、お悔やみの言葉をかけました。みなやっぱりそのときは寂しげな顔をするのがとても辛かったな。それでもDjaluをはじめ、皆健康そうでよかったです。

Djaluは少し痩せていました。良い意味で、身体が軽くなって前より元気に見えます。いつまでも長生きしてほしいものです。

義姉さんの葬儀はGarma Festivalの行われる場所で、3週間後から始まるそうです。そんなに亡くなってから時間が経ってからなんだと思いましたが、義姉さんクラスになるとアーネムランドの遠い場所から飛行機をチャーターして一族が集まるので、いろいろと手配が大変なようです。

話しをしてると、義理姉さんの娘さん(Facebookでやりとりしてます)や他のファミリーはまだワラビービーチにいるらしいので、じゃあ、早速訪問しようと
DjaluとDopiyaを連れて車で移動、ワラビービーチへ行く前に息子のラリーのところに行こう言うことで、ラリーの家へ。今は町中なのでジャルー達が今いる場所からも近いのです。ラリー、ラリーの奥さん、ラリーの息子のババコがいました。ババコはちっこい悪ガキだったのに、今は大人の身長になっていて、やっぱり子供の成長は早いなあ、と。ラリーも元気そうでした。

そしてワラビービーチへ。
会いたかった他の家族は皆揃っていました。義姉さんの娘のLisaもいて、やっぱり元気がなかったのですが、話しをして、私がこの10年で撮った義姉さんの写真をアルバムにして渡したらとても喜んでくれました。

Djaluのもうひとりの息子であるVanonもすっかり「おじさん」になっていて、びっくり。なんと4ヶ月のお子さんが生まれたそう。Djaluの教則CDのVol.1に写真が出てるので知ってる人も多いと思いますが、あんなちっちゃい子供が、今や一児のパパです。時が経つのは早いものです。

Djaluの孫であるヨーチンにも会えました。ちょっとふっくらして、だんだん少年になってきてました。もう11歳だもんなあ。葬儀に備えてゴミ拾いを黙々としていたのを見たら、成長したなあ、と少し嬉しくなりました。

さて、ひとしきり家族と過ごした後、アートセンターへ。

仕入れについてはまた次に書くとして、アートセンターでも2人のイダキ職人に会えましたよ。YaliとBunnungupunnungu(ブルース)。ブルースが来たときには丁度彼の作品を物色していたので、彼もにやりと笑って「これは良いイダキだよ」とすすめてくれました。息子とブルースとそのイダキで写真をぱちり。やっぱり彼の作るイダキは素晴らしいです。

[中編]
今回はアートセンターでの仕入れについて書きます。
町中から車で20分ほど行ったところにYirrkala Art Centre (イリカラ・アートセンター)があります。

ここにはYolungu(この地の先住民)のアートやクラフト、そしてアーネムランドイダキが集まってきます。

今回は、イダキ担当のジェレミーが久しく留守にしていたこともあり、500本以上のイダキがそこにありました。今回は久しぶりによい仕入れが出来そうです。

15日の金曜日終日、イダキのセレクトに時間をかけました。
500本ほどのイダキを試し吹きしてセレクトするのは容易ではありませんが、楽しいひとときでもあります。イダキの試し吹きは、5秒あればある程度のクオリティがわかります。まずは5秒で選び、その選んだ中からさらに選定します。

今回はここ数年にないほどクオリティがよくて、かなりのレアなものや、貴重なものを入手することが出来ました。

特に素晴らしかったのはBunnungupurrungu (ブルース)のイダキです。
ミンチ(家族の紋様)が繊細に施されたイダキは、芸術面でも高い評価を得ています。前編でも紹介した通り、彼に会えたのはラッキーでした。極上のブルースイダキを3本仕入れました。

次にDjaluのイダキですが、今回は直接の購入はできなかったものの8~9本のイダキを仕入れました。中に1本、セレモニーで使用されるはずだったBarra(西風) Yidakiも含まれてます。約40-50本あったDjaluイダキの中からセレクトしました。

そして、Ngonguイダキ。2003年にも来日した彼の制作するイダキは高い評価を得ていますが、彼は今、Logcoffin(大きなイダキのような丸太で、伝統的な棺桶です。)のアーティストへとシフトしています。彼のアートはさらに高い評価を得てきていますので、芸術面でもこれから評価が上がってきます。Logcoffinにもデザインされた彼のミンチが入ったイダキはおすすめです。

Nonguの製作したログコフィン

その他、クオリティの高いイダキ、安価なのにサウンドのよいイダキなどトータル47本を買い付けました。それらの一部(メンテナンスが必要なものを除く)は5/8のアーネムランド報告会&先行販売会でお披露目する予定です。

今回の最も大きな収穫は、初めてDhadalalを入手できたことです。
ジェレミーから転売せず、ヨルングの文化を広めるために使用するという目的で譲ってもらいました。アートセンターの博物館にも展示されているものと同じアーティストの作品です。

今回入手したDhadalal

Dhadalalは、彼らの重要な儀式の中で特別な目的で作られたイダキです。近年まで公に公開されることはなかったぐらいの神聖な楽器です。

一般的なイダキとの違いは、イダキの上部に紐で取り付けられた飾りがあることです。飾りにはカンガルーの足首の骨とオレンジ色の羽が付いてます。

Dhadalalはトゥーツサウンドのみ使用し、儀式の前に人々や精霊を呼び寄せるために使用します。

アートセンターの博物館に展示されているDhadalal 右2本

コレクション目的でイダキを買うことはもうないだろうと思っていましたが、Dhadalalだけは別物です。

その他、この地域ではないのですが、セレモニーで使用される楽器用のブーメランやアートや彫刻なども入手しています。

彫刻などは、値段との兼ね合いもあるので、なかなか日本では評価されませんが、アーネムランドで作られる彫刻は風合いがあり、伝統的なデザインですので、アートとしての価値も高いものです。その点がもう少し評価されるといいなと思っています。

また樹皮画もアボリジナルアートとしては長い歴史を持っています。ミンチの描かれたアートは彼らの文化を垣間見られるツールですので、是非一度じっくりご覧いただければと思います。

[後編]
イダキの仕入れも終わり、ファミリーにも会ったのでとりあえず目的は果たした。さて、日曜日、何をしようか?日曜日だからアートセンターも休みだし。

とりあえず、朝は町中まで散歩をする。

そういえば、町中をうろうろすることも久しくしてないなあ、と思いながら、滞在先から町の中心部へ。

町と言っても小さなコミュニティなので、すぐ近くには豊富な自然が残る場所だ。朝はたくさんの野鳥に出会えるし、日本では見られない花も沢山咲いている。

写真を撮りながら歩いていると、後から歩いてきたヨルングの男性が声をかけてきた。Djaluは自分の育ての親だとか、そんな話しをしてたら、「こっちの森の向こうに海があるよ」と教えてくれた。あ、そういえばあったな。

わざわざ海へ続く入り口まで連れてってくれた。もちろん挨拶替わりの「たばこある?」と聞かれたけど、なにももってなかったので、「ごめんね~」と伝えたら「仕方ないね」って顔をして去っていった。

ペーパーバークツリーが生い茂る小道を歩いて行くと、ビーチへ出た。
ヨルングの一行が遠くでテントをはっている。

少し風の強い心地よい朝。

しばらく海風を感じて、戻る。

昼頃までパソコンをいじってのんびり過ごしてたけど、何も起こらなそうだったので、とりあえず車もあるし出かけよう、と思い立った。

一つ用事を思い出したのは、Djaluの娘であるSelmaにたばこをせがまれていて、今度渡すね。と伝えてあったので、届けることに。

彼女のいるワラビービーチに行くと、Djaluを囲んで多くのヨルングが集まっているのが見えた。いつものだらだらと集まって会話をしている感じではない。h

まずいところに来たなあ・・・と思ってそっと車を停めて降りると、Dophiyaがこっちへ座れと、手招きしてくれた。30名ぐらいのヨルングの集団の中のど真ん中に座り、Djaluの話しを聞く。もちろんヨルングの言葉だからほとんど何を話してるか分からなかったけど、彼のお父さんの話、そこから儀式での順番などを話してるようだった。

暫く話しを聞いてたら、Dophiyaがこっちへ来いと。
裏に行って、話しをしてたら「これからイリカラへブングルに行くけど来るか?」というお誘い。まあ、彼らにとってはイリカラまでの足が必要なだけなんだけど。ブングルとはお葬式などの儀式のこと。彼らはよく「Bungul Djaama(儀式のお仕事)」と言う。もちろん、儀式を見られるなら、とOKした。

もちろん義姉さんの儀式ではないのだけど、ひさしくブングルには参加してなかったので良い機会をもらった。

道中、突然の土砂降りに見舞われたが、イリカラについたときにはすっかり上がっていた。イリカラにはセレモニー専用の場所がある。すでにたくさんの人が集まっていて、ちょうどエルコ島のGaliwinkuの一団がブングルをスタートするところだった。

やや離れた場所かに座り、ブングルを鑑賞する。
響き渡るビルマ(拍子木)の音、遠くでもしっかり聞こえるイダキの音色、そしてソングマンの歌声。この音色はやっぱり心地よく、ちょっとうとうとしてしまうほど。

隣に座ってたDjaluが椅子を持ってブングルに近づく。
しばらくするとたまらず踊りに参加する。
彼はホントにブングルが好きなのだな、と思う。

日本人でもお葬式が好き、と言う人はいないけど、どちらかというとお祭りに感覚が似てるのかもしれない。もちろん故人の魂を大地に戻すための大切な儀式なのだけど、多くのヨルングがブングルを愛してる。そんなブングルにイダキを演奏してたら興味を持たないわけがない。

2時間程度の参加だったけど、嬉しかったし、さらに興味が増えた。
でも、こんなとき義姉さんがいれば、いろいろ教えてくれたのに、と思うとちょっと寂しくなった。

さて、あっというまの4日間。明日月曜日午後にはダーウィンへ。そしてそのままケアンズへ。火曜日夜には帰国する。