2024年11月21日

[報告記]Arnhem Land Report (2015年1月)

[Day 1]
3年ぶりである。本当に久しぶりのアーネムランド。

今までは、早朝にケアンズに到着して、丸1日ケアンズで過ごして夕方の便に乗り、夜にアーネムランドへ到着というのが定番だったけど、今回は午後の便で現地入りできるのである意味乗り継ぎが楽になった。 ゴーブ行きの定期便は1日1往復。以前はカンタスリンクが運行していたが、現在はAir Northという航空会社が運行している。これについての真相は後ほど分かることになるんだけど。
徐々に機体が高度を下げていくと、Stringy Barkの森が広がる。ああ、懐かしいな。
そして変わらないGOVE空港へ到着。定刻の2時40分。

レンタカーの受付を済ませ、荷物を受け取って駐車場へ。
この地にはいわゆるチェーン展開のレンタカー会社はない。
私がいつも使っているのはGOVE RENTAL。
いつも「とりあえずなんでも良いから1台」とお願いしているので、
普通車だったり、4WDトラックだったりする。
今回はUTAという4人乗りトラック。
久々のマニュアル運転だ。

駐車場を抜けて、イリカラへの道に出る。

ボーキサイトで赤土が見えるアーネムランドの道。

この道に出た時に、「ああ、帰ってきたぞ!」と思わず叫んでしまった。
震災前は毎年1~2回は必ず訪れていた場所。3年もの間、一度もこの地に帰ってこなかったのは初めてだ。やっぱりこの空気、この空、このにおい!!
アーネムランドは自分にとってエネルギーをチャージできる唯一の場所かもしれない。

空港から15分ほど車を走らせれば、イリカラ居住区へ到着する。
この地はヨルングのコミュニティであり、いつもイダキを仕入れるアートセンターがある場所だ。

居住区内のフットボールグランドの隣にある建物がアートセンターだ。
アートセンターの入り口は何も変わらないが、中に入ってびっくりした。
拡張工事が終わり、今までの2倍ぐらいの広さになっていた。

アートやクラフトの展示もスタイリッシュですばらしいね。

懐かしいアートセンターのスタッフ達と挨拶をして、早速イダキの選定へ。
イダキのコーナーは奥に追いやられていたけど、在庫はかなりあった。
数百本のイダキをすべて試すのは至難の業。それでもいろいろ試して20本ほどピックアップする。もう少し絞り込みは明日やろうかと思っているけど。

アートセンターでイダキを選んでいるとイリカラに住むヨルングの少年が、近寄ってきて自分が選んだイダキを吹いてきた。「誰がイダキを教えたの?」というと「Djaluだよ」と答えると「僕は彼の孫だよ」と笑顔で答えてくれた。そう、Yolnguは一つの家族だから、名前(ヨルングでの身分証明になる)をもらっていることはとても重要なのだ。

もうひとつ今回勉強したことは、アートセンターのマネージャーであるWillから聞いた話。Willとはもう15年来の知り合いである。

「そういえば4年前の津波は大変だったね」と

「実はヨルングにも津波の話があるんだ」と1本のログコフィン(儀式で使う棺桶)を見せてくれた。そこにはカヌーの絵が描かれていて乗っている人の顔が死んでいるような描かれ方をしている。昔津波が来たときに、沖合でカヌーに乗っていた人が津波によって転覆して遺体が何十キロも先の海岸に打ち上げられたという話があるそうだ。だからこのカヌーの形を描くときにはこれは津波を表してもいるとのこと。興味深い。何十回も訪れている地だけど、学ぶことは無限大にある。

ところで、今回の宿は、このアートセンターの隣にあるコンテナ型の建物。
2部屋があり、最低限のキッチン用品も揃っている。こぎれいでエアコンもあるのでリラックスできる部屋だと思う。

イダキ担当のジェレミークロークもとなりの部屋に泊まっているそうで、
今回もアメリカ行きを伸ばしてケアをしてくれることになった。ありがたい。今日は彼の手料理をごちそうになった。

早めの夕食を食べた後、ジェレミーとナランボイの市内へ。
通称「TOWN」と言えば、このナランボイの中心部のことを指す。

イリカラから20分ほどで到着する。

ナランボイには2つのIGAとWoolworthという2つのスーパーマーケットがあって、ジェレミーに「どっちに行く?」って聞いたら「今は1軒しかないんだよ」と衝撃的な発言が!今までこの地には鉱山会社がボーキサイトを採っていたんだけど、昨年閉鎖になったそうだ。そのため、町の中に住んでいた白人のスタッフがいなくなり、4000人ほどいた人口も今や1500人ぐらいになったんじゃないかとのこと。

今までこのボーキサイト鉱山で潤っていたこの地も新たな時代を迎えることになったんだと感じた。

唯一残ったWoolworthへ行くと、Djaluファミリーと偶然出くわす。
姪っ子にあたるLinaたちはびっくりして大きなハグで迎えてくれた。
その後、Djaluの妹でいつも自分の世話をしてくれるDhaangalが合流。
明日、サプライズでDjalu夫妻をアートセンターに連れて行くよ、とのこと。
Djaluの妻であるDhopiyaは自分を弟にしてくれた大切な人なので、会うのが楽しみだ。

[おまけ・タバコの話]

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最近では免税のタバコは1カートンではなく2パケットに変わったそうだ。
地元のタバコ、ウィンフィールドブルーはファミリーのお土産に買う。これ以外は吸わないのだ。

それにしてもオーストラリアのタバコのパッケージはえぐい。
日本もこのくらいやればやめる人が続出するんじゃないかな?

[Day 2]
2日目の朝は快晴。
行きの国際線で寝不足気味だった初日の睡眠を十分取り戻せた。

今日はDjaluに会う日だ。

朝、アートセンターで待っていたが、一向に現れない。
ダンガルに電話をすると案の定「こっちに来い」と。

ヨルングの約束は半分以上は成り立たない。だから全く驚かなかったけどね。
イリカラからDjalu達のいるワラビービーチまではTOWMを経由して車で30分ぐらい。

久しぶりの道のり。この広い空が広がる道が好きだ。

Djaluの家に到着。表には誰もいない。
とりあえず誰かいるかな?ってバックヤードに向かうと、まずダンガルを発見。
ダンガルは「Yapa(ドフィア)がいるから驚かせよう」とジェスチャーで伝える。

バックヤードに行くとYapaの後ろ姿が見える。Djaluのイダキ製作を手伝っている。

そっと後に近づき「良いイダキだね」って声をかけると。
ほんとびっくりしてくれて満面の笑顔で「Yo WAWA!」と弟である自分に大きなハグをしてくれた。
Djaluは?と聞くと病院に薬をもらいに行ってるそうだ。

その間にダンガルとドフィアにお土産を渡す。

人気だったのは、老眼鏡。日本では100均で買えるので沢山持っていったら、他のヨルングとともに喜んでくれた。あと爪切り、サングラス、子供用のおもちゃとか、バンテリンとか。みんな袋をのぞき込んで嬉しそうに持っていってくれるをみると嬉しいね。

そうしているうちにDjaluが帰ってくる。

3年ぶりの再会である。

髪の毛がかなり伸びているが、昔とあまり変わらない印象。元気でよかった。

Djaluは沢山話をしてくれた。息子Larryのこと、最近のファミリーのこと。
声にはやや張りがなくなっていたものの、まだまだイダキメーカーとしては現役だ。

「完成したイダキ(つまり譲ってくれるイダキ)はあるの?」と聞くと、指を2本たてて「2本あるよ」と。

奥の部屋から持ってきてくれた2本の黒いイダキ。
1本は大きくボトムのシェイブも理想的だ。
もう1本は小ぶりだが、よさそう。
吹いてみると驚いた。どちらも別格のイダキ。

特に大きい方は、なかなか出会えない名器だと確信した。

Djaluいわく、大きい方は稲妻(バイワラ)イダキ、小さい方は西風(バラ)イダキだと。Galpu Clanのリーダーである彼の意図するサウンドがこの2本には詰まっていると言うことだ。

お願いして2本とも譲ってもらった。

久しぶりに訪問して驚いたことは、ワラビービーチには犬だけでなく猫も増えていること。毛並みのよい猫がDjaluの家にもいた。まあ、彼らの伝統曲にも猫の曲があるぐらいだからいても不思議ではないけど。

明日はダンガルたちとハンティングに行こうと誘われているけど、実現するかどうか。それからDjaluの孫であるヨーチンにも会える予定。すでに成人の儀式を受け大きくなった彼に会うのはホントに楽しみである。

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[Day 3]
昨夜の雨も上がり、今日も快晴。
朝早くに目覚めたので、Shady Beachへ。
Shady Beachはイリカラにある静かなビーチ。
私のお気に入りの場所の一つだ。

今回の目的のひとつでもあるアーネムランドの空撮。
誰もいない静かなビーチでまずは試して見た。
やや海風の影響は受けたものの、かなりいい画が撮れたと思う。

その後、アートセンターへ。
25本のイダキの仕入れを決めた。
完全に予算オーバーだったけど、今回はかなりよいバラエティに富んだ良質イダキを仕入れることができておおむね満足。多少メンテが必要なものが半分以上だけど、良質のイダキを探している人にはきっと喜んでもらえると思う。

さて、仕入れが終わったのであとはアーネムランドの滞在を楽しむだけだ。

午前中はDjaluファミリーの元へ。
昨日約束したハンティングは実現するのか?
はい、実現しました。

どこに行くかダンガルとドフィアで話し合った結果、クロコダイル・クリークへ。
クロコダイル・クリークはDjalu達の住むワラビービーチから車でほんの10分程度。

2人の姐さん達を引き連れて、いざハンティング!

何を採るかというと、マッドクラブ(日本で言う泥ガニ)だ。

マングローブのジャングルの中で狩りをする。
ビーチのそばにあるマングローブの生い茂る中へ、姐さん達はずんずん進んでいく。はっきり言って歩いては入れる場所じゃない。地面はぬかるんでいるし、マングローブの枝が縦横無尽に生えてる。

その根元に潮が引いた水たまりがあるんだけど、その中に木の棒を突っ込んで、カニを探す。

経験から言うとまあ、一匹も見つからないこともしばしば。
あまり期待してなかったら、ドフィアが「こっち来い」と10mぐらい奥の方から呼ぶ。行ってみるとそこには甲羅の大きさが20cmぐらいの泥ガニ!

もう捕まえたの?早っ!
正直びっくりした。静かなる殺し屋みたいだ。さすが狩猟採取民族

その後も、姐さん達は静かに水たまりを突っつき、次から次へとカニを見つける。30分程度で大収穫。5匹の泥ガニを捕らえたのだ。

ハンティングの途中、海岸の木陰に横たわっている小さなウミガメを見つけた。頭から出血していてひっくり返っていた。何があったのかは不明だけど。

ワラビービーチへ戻り、ダンガルの家の裏庭で焚き火をして、カニをボイルする。
あっという間にカニは真っ赤になり、茹で上がる。

ドフィアは固い殻をフォークを使って叩いて割り、美味しそうな爪の部分を「おまえのだ」と譲ってくれた。ぷるんとした身が詰まっていて、濃厚なカニの味がたまらない!やっぱり泥ガニはうまい!

ワラビービーチからの帰り、ラリーの息子、ババコに会う。
顔はそのままなのに身長が異常に伸びていた。そうだよなあ、3年経ったんだもんなあ。

午後はイダキを吹いたり、のんびり過ごす。

明日は日曜日、アートセンターは休みだけど、ジェレミーがイダキのパッキングをしてくれるそうだ。明後日には発送してくれるみたいだから意外と早く到着するかも。楽しみだね。

アーネムランドに来て3日目、時折スコールはあるものの、天気にも恵まれ、充実した日々を過ごしている、あと2日余り、良い時間を過ごしたいね。

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[Day 4]
日曜日の今日は、アートセンターは休みだ。
昨日のカニ採りの疲れも出たせいか、あまりやる気がでないので、今日はゆっくり過ごそうと決める。

イリカラの日曜日の朝は、静かだ。

宿泊してる場所の目の前にはフットボールグランドやバスケットコートがある。
いつも朝から多くのヨルングキッズが来て遊んでる場所だ。今朝は誰もいないので、空撮を試みた。まあ、何もないところは安全なのだけど、絵柄としてはいまいちかな?

その後ジェレミーが日曜日にもかかわらずアートセンターを開けてくれて、購入したイダキのパッキングをしてくれた。わずか30分あまりで27本のイダキを梱包。さすがだ。

昼はジェレミーとヨットクラブでランチ。
ヨットクラブは昔ジャルーが住んでいたスキービーチへ行く途中にある会員制のレストラン。ここを訪れるのは6年ぶりかな?昔はよっぱらいのヨルングを見かけることもあったけど、今日はいなかったね。随分とアルコール問題も落ち着いてきたようだけど、まだタウンでは酔っ払ったヨルングを見かけることもしばしば。

ジェレミーのおすすめのバラマンディを食した。
バラマンディはオーストラリア北部に生息する淡水魚で、フライやグリルにして食べるとうまい。ノーザンテリトリーへ行くとフィッシュアンドチップスのことをバラアンドチップスと言うくらい。それにしてもでかい。他のお客さんが頼んでたステーキはもっとでかかったけど。(1kgぐらいあったんじゃないかな?w)

腹一杯になった後、ジェレミーの友人の家へ。
ニュージーランド人の旦那さんと日本人の奥さんが住んでるそうだ。
他の白人の友達も何組か来てちょっとしたランチパーティーに参加させてもらった。アボリジナルランドの白人コミュニティ。奥さんのトモコさんは大阪からやってきて、4年前からこの地に住んでるそうだ。ボーキサイト鉱山のことを聞いたらまだ鉱山は掘ってるらしいが、精製する会社が撤退したらしい。精製会社の方がスタッフの人数が多かったらしく、やっぱり随分と人口も減ったらしい。確かに町の家には空き家が目立った。この地はこれからどうなっていくんだろう。

戻ってきて夕食はトマトパスタを作る。こっちへ来て随分とイタリアンばかり食べてるな(笑)。

イリカラの夕暮れ。外にテーブルを出してディナー。
ヨルングの子供たちはバスケットに興じ、遠くからは大音量の音楽が聞こえる。
心地よい海風が吹いている。今日はスコールはなさそうだ。

今回一つ収穫があった。

いつもこの地に来るとサンドフライや蚊の攻撃に悩まされる。 今回はまったく刺されないのだ。理由は空港でみつけた虫除けクリーム。
Bushman Plus。このクリームにはサンスクリーンの成分も入っていて、日焼けも防ぐすぐれもの。ちょっとべとべとするけど、スプレーよりは効果的。おすすめである。

明日は実質アーネムランド最終日。
沢山写真を撮って帰ろう。

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[Day 5]
実質アーネムランドの最終日である。
次回来るまでにやり残したことのないように1日精力的に動こう。

とりあえず朝はアートセンターでメールのチェック(笑)。

そうそう、ジェレミーが気がついたんだけど、2003年にアーネムランドで撮ったヨルングの子供の写真にアートセンターのスタッフが映ってた。彼は2010年にここに来たときに一緒に魚を捕りに行ったDJというヨルングだ。すっかり大人になってたから気がつかなかったけど、確かに面影がある。本人に見せたら恥ずかしそうに笑って「ひょろひょろだね」って。でも気に入ったらしく「その写真ほしいな」と。15年以上この地に通っているとこういうこともあるもんだ。

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2002年の写真。左の少年がDJ
     ↓

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2010年の写真。すっかり青年になりました。

アートセンターに暫くいるとドフィアから電話

「タバコ買ってきておくれ」

はいはい、分かりました。空港で買ってきた1箱はあっという間になくってしまうわけだ。

スーパーでタバコを買う。
20本入りが18ドル(約1800円)。凄い嗜好品である。
それでもヨルングの人達はタバコが好きだ。日本のタバコで代用できるならいいのだけど、オーストラリアのウィンフィールドブルーしか吸わない。

身体に悪いのは彼らも分かっているけどやめられないのだ。
「身体に良くないからやめなよ」っていうのは残念ながら通用しない。

ワラビービーチに到着すると、ドフィアはイダキのペイントをしていた。
せっかくなので久しぶりにじっくりペインティングを見させてもらう。
あまりみかけないデザインだったから聞いてみたら、リチャンゴという芋を書いてるそうだ。たまたまこのイダキをカッティングしたときにこのリチャンゴを見つけたからという理由。「生でも食べられるんだよ」と教えてくれた。

ペインティングを見てるとジャルーが出てきた。

ジャルーがイスを持ってきて隣に座る。
ゆっくりといろんな話をし始めた。
この地の伝説のことから、鉱山は作るべきじゃなかったってことや、
日本人はよく聞いてよく考えて学ぼうとするから好きだとか、
自分のイダキのサウンドで元気になった白人の話とか。
ときおりにやっと笑い、握手を求めてきたり。
半分ぐらいしか聞き取れなかったけど、一生懸命理解しようとした。

彼は推定85歳だ。
糖尿病を患っている。
訪問看護士が来て「今日はインシュリンを打ったの?」ってドフィアに聞いたら、「今日はジャルーは血糖値が低かったから大丈夫だよ」ってそしたら「低くても打たなきゃ駄目なのよ」と。そしたらジャルーが「俺はイダキを吹いたら血糖値も下がるから大丈夫だ」と頑固オヤジのようなガキ大将のような発言。思わず笑ってしまった。それでもインシュリンをお腹に注入。ヨルングとしては長生きしている方だよなあ。昔アボリジナルの平均寿命は50代だって聞いたことがある。彼は今でもイダキを演奏し、イダキを作っている。彼の寿命を支えているのはホントにイダキなのかもしれないな。

そうそう、ようやくラリーにも会えた。彼は今バラ(西風)バンドという音楽バンドを組んでいて、今日もこれから練習だそうだ。3月にはアデレードのフェスティバルに出演するそうだ。そのときはジャルーも歌うらしい。

午後いったんイリカラへ戻る。

アートセンターが薄暗い。
一部が停電したそうだ。
この地ではよくあること。みんな慣れっこだ。
日本では停電は珍しいけど、アーネムランドを初め他の地域ではよく起きるところも少なくない。

停電になるとみんな外に出てくる。エアコンがきかないからね。
夕方の海風が心地よい時間が近づく。

さて、ファミリーにお別れをつげに行こう。

再びワラビービーチへ。

ワラビービーチには、ジャルーのファミリーが皆揃っていた。
リナやセルマはいつも親切にしてくれる。そうそうセルマはヨーチンのお母さんなのだけど、ヨーチンには会えなかったな、って思ってたらさっきから家を出たり入ったりしている小学校の制服を着てる子がいた。よく見たらヨーチンだ!お~い、おまえすっかりぽっちゃりしちゃったなあ。わからなかったよ。(笑)

皆に分かれを告げた。このときはいつでもやっぱり寂しい。
次に来たときに皆元気でいてくれると嬉しいな。
皆どんどん歳をとるし、環境も変わっていく。
15年以上通っているとこの地の変化がよく分かる。
鉱山の精製工場がなくなった今、大きな変化がやってくるかもしれない。

やっぱりこの地が好きだし、イダキが好きだ。
それが再認識出来ただけでも収穫だったと思う。

イダキから少し距離を置こうかとも思った。だからもしかしたらもうここを訪れなくても良いんじゃないかとも思ったこともあった。でも今回うちのスタッフや家族が背中を押してくれたこともあり、思い切って3年ぶりに来て良かったと思う。何も出来ないけどこの地を定期的に訪れることは自分には必要なんだと。これがきっと「土地が呼んでる」ってことなんだと。なにしろ、会う人会う人皆自分のことを覚えてくれていて、「待ってたよ」って顔でハグしてくるんだから。正直めちゃくちゃ嬉しかったよ。

自分はアボリジニ研究家でもイダキオタクでもない。
昔はイダキ熱だけで何度も訪れてたけど、今は、このファミリーや知り合いに会うのが楽しみなのだ。彼らから何気なく得るものは大きい。だからそれを興味ある人にはシェアしていきたいのでこうやってブログに綴ることにしてるのです。

やっぱりまたこの地に戻ってくることを目標に1年間頑張って働いていこう。

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