今回のアーネムランド滞在は実質3日間。
13日夜成田を出発して、翌14日早朝にケアンズ。
ケアンズではいつもお世話になっているトムさん(日本人)家族にお世話になり、午後の便でゴーブ(アーネムランドがある場所)へ。
今回は諸事情でレンタカーを借りてないので、ジェレミー(アートセンタースタッフ)に迎えに来てもらう。
その日はいつもアーネムランドで泊めて頂くリックさんの家で過ごし、本格的に動き出したのは15日からだ。
ということで15日からの報告をここで書いていく予定です。
出発前日、ジェレミーと話していたら、ちょうどジャルーはメルボルンへ行っていないとのこと。今回は会えないかな?と思っていた。
15日朝、アートセンターの車を借りられたので早速ファミリーに会いに。
彼らの住むワラビービーチは町から車で15分ほどのところ。
去年は町に住んでいたこともあったけど、ワラビービーチに戻ったそうだ。
車で入ると、ファミリーの一人がうれしそうに手を振ってくれた。
するとあちこちからファミリーが集まり始める。いつもこうやって迎えてもらえるのはうれしい。
ジャルーの妹さん(僕の義姉さん)が生きていたときは、彼女がすべて仕切ってくれて、彼女が去年亡くなった後はジャルーの奥さんのドフィヤ(私の弟にしてくれた人)が面倒を見てくれたのだけど、今回はジャルーと一緒にメルボルンに行ってしまったらしく、娘のリーナが世話をしてくれた。
リーナは初めて会った頃から一番親切にしてくれる、信頼できるファミリーの一人だ。
リーナによると、ジャルーたちは火曜日の朝戻ってくるらしい。よかった!出発は水曜日の朝だから火曜日に会えそうだ。
ファミリーが集まってきたので用意したお土産を渡す。
いつもちょっとした日用品やら、サングラスやら、こどもの用品をたんまり買って持って行く。
普通だったら外国人には和風なものとかが喜ばれるんだろうけど、毎回来ているので日頃使うものの方が喜んでもらえるね。今回もファミリーで分け合って喜んでもらえた。でも結局一番喜ぶのはタバコなんだけど。タバコはこっちではとても高い。30本入りのタバコが2500円ぐらい。それでも彼らはタバコが好きだし、銘柄もウィンフィールドブルーしか吸わない。オーストラリアのタバコはパッケージというものがほとんど存在しない。その代わりにかなりえぐいタバコで病気になった内蔵なんかの写真がプリントされている。それでも彼らはタバコをやめられない。
お土産を説明していたら、別のファミリーが携帯を差し出した。「ヤッパ(姉さん)だよ」と。わざわざドフィヤに電話をしてくれたようだ。でも第一声は「タバコとっておいて」だって。まあ、いつものことだけど。
いろいろ話をしていたらわかったことがいくつか。
1. 今年の3月からアデレードの美術館で大きなジャルーを中心としたイダキ展が始まるそうだ。3月上旬のオープニングには家族みんなで行くとのこと。
2. 彼らが以前住んでいたEast Woodyという場所があるのだけど、そこが裁判で勝利してガルプ(ジャルーファミリーのグループ)の土地と認められたそうで、将来またそこに住むことができると喜んでいた。
3. ジャルーの孫たちはみなどんどん大きくなっていたこと(当たり前だけど)
リロ、ババコ、ヨーチン・・・みんな元気だった(みんな太ってたw)
ヨーチンが切り立てのイダキの原木を演奏してくれた。
すごくうまくなってたなあ。赤ちゃんの時は加えてただけだったのに。
リーナが「graveに行く?」と。
最初、graveの意味がわからなかったけど、話してたら、墓地のことだとわかった。実は今回の目的の一つが昨年なくなった義姉さんのお墓参りだった。どこにお墓があるかもわからないかったので、ちょうど尋ねようと思っていた。
お墓はイリカラの海岸近くにあるそう。
ファミリーを乗せてイリカラへ。
イリカラまでは車で20-30分程度。
イリカラはアートセンターがあり、いつも一番時間を過ごす場所。
アートセンターへの道をいくと、途中で未舗装の道へ入り、少しだけ行くと海岸に出る。そこにはいくつかの十字架がある。そのなかでも一番、花で飾られたお墓が見える。すぐに義姉さんの墓だとわかった。
やっと会えたけど、ほんとにいないんだな・・・
手を合わせてお祈りした。
そういえば今日は自分の父親の命日だった。オーストラリアの地から父にもお祈りを捧げた。
アボリジニと言ってもキリスト教なので、十字架の下に土葬。
その上にはたくさんの造花(生花はすぐ枯れてしまうので)
面白いことに、ソーラーパワーで夜光るガーデニング用の装飾が周りにもうけられている。
ファミリーの一人がすぐそばのお墓に案内してくれた。
そのお墓はコンクリートで固められていて大きな亀の形をしている。
「ジャルーのお父さんの墓よ」
なるほど、この場所はガルプの人のお墓なんだ。
亡くなった後もやっぱり家族は一緒なんだな。
ワラビービーチに戻る。
リーナが「イダキいる?」と。時間がないからどうかな?と言ったら「ビルマは?」と。ビルマはソングマンが儀式で使う拍子木で、最近なかなか手に入れられなかった。「ビルマはほしいね」と伝えると、作ってくれることになった。
ガルプのビルマはダウルル(綴りは不明)という堅い木を使う。すでに原木はあるらしく、すぐに作るよ、と。どんなビルマができるか、楽しみにしていると、かなり本気のセレモニー用のビルマを作り出した。仕上がりが楽しみだ。
ファミリーに別れを告げて、再びイリカラへ。
日曜日はアートセンターが休みなんだけど、平日はいろんな人が出入りするし、火曜日の夜からジェレミーが儀式に参加するためガンガンという場所へ行ってしまうので、その前にイダキを選ぶことに。
アートセンターは変わらず数百本のイダキがある。現在在庫が多すぎてイダキの買い取りを一時ストップしているほど。
たくさんのジャルーやダーパのイダキがあった。
今は結構ペイントがすてきなものも多かったね。
これだけのイダキを選ぶのは結構大変だ。
片っ端からチェックして選ぶんだけど、奥の方にあるイダキを取り出すのにも一苦労。どんどんよりかけると次第にバランスを崩して倒れそうになる。
それでも今日は40-50本程度のイダキを選んだ。基本音とトゥーツの音を1~2秒で確認して、「これは買おう」「これはいらない」「これは保留」と分けていく。これは!というものが何本か埋もれてたりする。だから自分で選ぶのが一番だ。それでもへとへとになりながら選んだので明日は終日アートセンターに滞在してもう一度時間をかけてチェックして選び直す予定。
16日朝、イリカラへ向かう。外はどんよりとしていて、今にも雨が降りそうだ。
町中から20分ほどでイリカラに到着。
最近、イリカラの建物にはたくさんのアートが描かれている。
アートセンターの向かいのショップや、いろんな建物に。
それもアボリジナルアートではなく、ヨルングの人たちの絵が描かれているのが興味深い。主にLand Rights(先住民の土地所有権)に関わった人の絵らしい。
アートセンターに到着してしばらくすると雨が降り出し、あっという間に土砂降りに。こんなに降るのも珍しいな。
といったわけで今日は終日アートセンターで過ごす。
購入するイダキを最終チェック。最終的に44本に絞り込んだ。
今回は高価なスペシャルなイダキは少ないものの、手頃な値段で音のよいものばかり選んだ。メンテナンスが必要なものも多いけどね。
リーナからまだビルマは受け取ってないけど、アートセンターでもセレモニー用のビルマを4セット選んだ。アイロンバークで作られた本気のビルマばかり。ビルマはここ10年近くも入手困難だったけど、なぜか今回は良質のビルマが何セットも手に入れられそうだ。ビルマはトラッドスタイルのイダキ奏者には是非とも持っていてほしい楽器だ。
アートセンターのスタッフはいつもたくさんいて賑やかだけど、ちょうど今夏休み中で、マネージャーのWillや他のスタッフはほとんどいない。その上、雨で人も来ないので静か。
午後になると雨は止み、イリカラに住むヨルングのキッズやら、アートやイダキを持ってくるヨルングが続々押し寄せる。
今日唯一会ったイダキ職人は、Marikuku。
初めて会ったけど思っていたより若く、気さくな人だった。
「いつもあなたのイダキを買ってるよ!多くの日本のイダキファンはあなたのイダキを使ってるんだよ」と伝えると、満面の笑みで握手を求めてきた。一緒に写真も撮ってくれた。Marikukuのイダキを持ってる皆さん、下の写真のように彼はナイスガイですよ!
今回仕入れたイダキのラインナップで、特によかったのはBibibak, Dhapa, Marikuku, Ngongu など。彼らは良質なイダキを作っている素晴らしい職人だと思う。ブルースのイダキがほとんど見当たらなかったのでジェレミーに聞いてみたら、ブルースは重い病気らしく、今はほとんど作ってないそうだ。とても残念。また回復して素晴らしいイダキを作ってほしいな。
2000年-2003年頃精力的に作っていた名工Datjirriも一時全く見当たらなかったけど、ここ数年また製作している。でも残念なことに、今ダーウィンに移ってしまって作ってないそうだ。BadikupaやMararaもいろいろあってもう作ってない。もう亡くなってしまったDalingbuyに住んでいた職人たちも含めて、素晴らしいイダキ職人がたくさん去って行く一方、今頑張っている新しいイダキ職人もいる。頑張って続けてほしいな。
日本ではDjaluが一番有名だけど、他にもたくさん素晴らしい職人さんがいることを知ってほしいな。Magoのように職人が激減して衰退の一途をたどっている伝統的なディジュリドゥも多い。イダキはまだ頑張っている職人さんが多いけど、需要がなくなれば彼らも作る意欲がなくなり、同じような運命になることも考えられる。
仕入れたイダキは単にビジネスとしてだけでなく、彼らのイダキを支える一助になればうれしい。
実質最終日となる。
イダキの買い付けも終わり、明日にはアーネムランドを離れる。
今日は午後まで車があり、自由が効くので朝からDjalu Familyのいるワラビービーチへ。今日の朝、DjaluとDophiyaが戻ってくると聞いてたので、ワラビービーチで待つことに。
ワラビービーチにはDjaluの娘たちがいた。
「今日帰ってくるんだよね?」
「いや、金曜日に変更になった」
が~~ん!
今回はDjaluやDophiyaに会えず・・・。
それでも、多くのファミリーには会えたのでよしとしよう。
過去にも何度か会えなかったことがあったので、ある程度想定内。
そしたら、ファミリーがまた電話をつないでくれた。
出てみるとDjaluだ
「会えなくて残念だよ。金曜日に戻るんだ。今メルボルンにいるよ。ラリーはもう少しこっちにいて、レコーディングだ。伝統曲とかを演奏するんだよ。」
そう教えてくれた。
元気そうだったので、安心した。
リーナに頼んでいたビルマはできあがり、2セット購入した。
大きくてずっしりだけど、音は最高。アートセンターのと併せて6セット。
今回の大きな収穫のひとつ。
リーナが作っておく、と言っていたイダキも、すでにシェイブが終わり、上下黒に塗られていた。
試しに吹いてみると、あまりの音質の良さに感激。
結局購入することにした。
娘の一人、セルマがペイントをしてくれた。
彼女のペイントは丁寧で、とても愛情があるので好きだ。
自分が使っているDのイダキ。2005年にガーマフェスティバルの時、ジャルーが自分のために作ってくれたイダキにセルマが白いオウムやガムツリーの花をペイントしてくれた。「あなたはイリチャ半族、これはのイリチャのトーテムだから」と。
そのときの写真がPCにあったので、見せたら喜んでくれた。
ペイントができあがるのを待っているとリーナが「ジャルーの妹の写真が見たい」と。PCを見せてあげると、すごく喜んでくれた。自分のPCには2002年ぐらいからのアーネムランド訪問での写真が入っている。
いろいろ昔の写真を見せてあげるとファミリーが皆寄ってきて「~~~だ!あははは!」と大騒ぎ、孫のヨーチン(現在12歳)の写真も生まれたときからたくさん入っている。ヨーチンがいたのでちっちゃいときの写真を見せたらちょっとはにかむように笑って見てくれた。
そしたら最初PCの画面を自分のスマホのカメラで写し出す。
普通だったらデータを何らかの形で共有するのにね。
中には動画もあって笑いながら「これもとっておこう」とビデオでPCの画面を撮る。
しばらくいろいろ見せてたら、USBメモリーをごっそり持ってきて、「これに全部コピーして!」と。なんだ、あるじゃんこういうもの。
USBメモリーをコピーしてあげると、どうやって再生するのかと思っていたら、後で家の中からまた大笑いする声。のぞいてみるとTVでスライドショーにして見てた。
ヨルングの文明はすごい進化してる(笑)。
彼らは昔から写真やビデオ、カセットテープ、CDなど、過去の記録がとても好きで、よく古いカセットテープを持ってきては「これは私の父のイダキの音だ」とか、写真を見せてくれて「これは昔撮った~だ」とか教えてくれる。
こういった形で自分が撮った写真や動画で喜んでくれるので幸せだな。
さて、セルマがペイントしたイダキができあがった。
蓮のつぼみ、そしてDjauがよく描く模様まで。
すてきなイダキがまた手に入った。
できあがったイダキはヨーチンが演奏してくれた。
Barra (西風)の曲。すごいなあ~、あんなちっちゃかったヨーチンがもう自分の伝統曲を演奏している。12歳にしてイダキの才能はすっかり開花している。これぞネイティブイダキプレーヤー。どんなに頑張っても自分には超えることができない。このままいいプレーヤーになっていってほしいな。いつか日本で演奏してほしい。
義姉さんもきっと天国で誇らしく思っているに違いない。ヨーチンのことをほんとにかわいがってたからね。
ファミリーに別れを告げて、アートセンターへ。
ジェレミーはちょうどGan Ganという車で4時間ぐらいのところにあるコミュニティでのお葬式のためヨルングを連れて出発するところだった。今回は彼はホリデイで留守のスタッフの代わりの仕事をしていたので多忙で、あまりゆっくり話せなかったけど、まあ、元気そうだったのでよかった。
出発前に数人のヨルングが白人の男性3名をつれて入ってきた。
ジェレミーが「これから彼は歌を歌うから一緒についておいで」と。
そしたらアートセンターの奥にあるチャーチパネル(これについては長い話になるので後で説明する)の前で、ビルマ(拍子木)をたたいて歌い出す。歌が終わると、チャーチパネルの説明をしてくれた。
イリカラチャーチパネルは、白人がミッションで入ってきたときに教会に飾られていたアートで、ヨルングのイリチャ半族と、ドゥワ半族のアートがそれぞれ2枚ある。そのアートにはそれぞれの半族が信じてきた伝説が描かれていて、かれらはキリスト教でありながら、それぞれの半族の教えも守ってきている。それがこのチャーチパネルに記されているのだ。
どんなに最先端の文明が入ってこようが、彼らのアイデンティティは変わらず引き継がれているのだ。
一人の日本のイダキ奏者としてここに息づくヨルングの文化や考えにイダキを通じて知り合えたことに感謝している。ディジュリドゥは単にひとつの楽器ではない。楽器としての魅力もあるけど、背景にあるアイデンティティは、彼らの歴史、言語、文化、生活習慣、思想、すべてを垣間見せてくれる楽器だと思う。こういう私の体験記や報告会から、その背景に息づくヨルングのアイデンティティを少しでも感じてもらえればうれしいです。
今回お世話になったジャルーファミリー、ジェレミー、いつも宿と食事を提供してくれるリックさんファミリー、ケアンズでいつもお世話になっているトムさんファミリー、留守を守ってくれているディンカム・ジャパンスタッフ、そしてこのブログを読んでくれた皆さんに感謝!
あと何回この地に来て彼らとの交流を続けられるかわからないけど、頑張って働いて、また来年戻ってこられたら幸せ。