[訪問記]Garma Festival 2004 Report

いつも、帰りの機内でこのガーマ報告記を書くのが通例になってきた。つい3日前までガーマで過ごした時間、それを振り返りながら、そして来年のガーマを想いながら・・・。

今年で6回目を迎えるガーマフェスティバル。毎年規模が大きくなるにつれて、様々な問題を抱える。伝統文化にややプレッシャーを感じるヨルングの若者たち。ヨルングを取り巻くバランダ(non Aboriginal People)同士の問題。よかれと思ってやっていることが彼らにとっては不快感を与えることも少なくない。ガーマが始まる前、そういった問題を目のあたりにして多少げんなりしていたのも事実だ。

何のための、誰のためのガーマか?そういった疑問が残る中、ガーマは始まった・・・。

な、なんてこったっ!!

そんなもやもやを一気に吹き飛ばしてくれるほど、今年のガーマは凄かった!!オーガナイズもさほど大きな問題もなく、十分満足いく5日間だった。そんな5日間の主なエピソードをつらつら書いてみたい。

(1)遠く、とお~く、どこまでもとお~く~♪

 今年のイダキマスタークラスの参加者は1カ所にキャンプするように指示されていた。ガーマの前日、今回のイダキマスタークラスのコーディネーター、ジェレミーとともにキャンプ場を視察にいった。ジェレミーが「きっとここだよ」といった場所ははるかに会場から離れ、まるで孤立した空間のように約30のテントが張ってある。年々イダキの音がうるさいというふざけた理由で遠くへ追いやられている。まあそれでも会場までは徒歩圏内なので受け入れるしかない。しかし夜になるとそのイダキ集落は暗闇の中に消えていた。とてもじゃないが灯りがなければ歩けない。最初は憤りさえ感じたが、ポジティブにとらえれば、星はとてもきれいだった。毎晩トイレまでの道のりを歩くとき、夜のライブをみて帰るとき、天の川がイダキ集落までの道筋を導いてくれるようだった。

(2)圧巻だった初日のブングル

 今年のガーマでの様々な問題を一気に吹き飛ばしてくれたのが、ブングル(ダンス)だ。初日、イダキマスタークラスご一行は午後車で20分ほどのところにあるイリカラ・アート・センターを訪問、その後3時過ぎに会場に戻ってきた。まだ日が高い時間なのに遠くからビルマ(伝統的なクラップスティック)の音がする。確かブングルは4時半ぐらいからスタートすると聞いていたのに、と思いながら車を降りて会場へ歩き出す。目の前に広がる光景に絶句した。おそらく100人はいるだろうか、黄色いナガ(ふんどし)をつけ、体にペイントをした男性と顔に黄色い1本の横線を入れた女性がちょうどブングルを始めるところだった。いつものブングルとは何か違う・・・そう一瞬で感じた。通常はナガをつけてジャパンガリ(宴の踊り)やマニカイ(神聖な踊り)の中でも公で見せられる踊りが披露されるのだが、その光景は本当に異様だった。彼らの行進している様は威圧感があり、とても近寄りがたい。彼らはミリンギンビという北アーネムランドからきたグパピュングという部族だ。彼らもまたイリチャ(半族という2つに分ける考えがヨルングにはある)でありこのガーマを主催するグマチとは非常に近い関係にあるという。男たちは長い槍やガルポ(やり投げの道具)を持ち、何かにとりつかれたように会場中央に立つガンブラブラ(この地にすむ神様。イダキの神様ともいわれている。)のポールを目指して歩き続ける。これは一般的なマニカイではない。そう思った理由はいくつかあった。ひとつはイダキ。彼らは2本のイダキを使い分けて演奏していたのだが、そのうちの1本には羽根飾りがあしらわれていた。羽根飾りのある道具は彼の中ではとても神聖な意味をもつ。そしてもう一つはダンサーの道具。小太りの長老風の男性はなんと今まで私でも一度も目にしたことのないディリーバッグ(とても神聖な網かごでめったにみることができない)を口にくわえているではないか!そして初めてみたのがファリック・シンボルと呼ばれる男性器を想わせるながい筒。それを股間の前にあてがって、ややわいせつな感じで踊っている。こんな踊りがあったなんて!この踊りはガンブラブラの踊りだそうだ。まさにガンブラブラの神様を呼び起こすために神聖な踊りをしているのが理解できた。鳥肌が立った。こんなブングルを本当に見ていいのか?本当に僕らに披露していいのか?そう思いながらできるだけしっかり目に焼き付けようと思った。

踊りが終わると彼らは達成感に満ちあふれたように、笑顔で元いた場所へ歩き始める。無意識のうちに彼らを追いかけてしまった。羽根飾りのついたイダキの写真を撮りたくて彼らに近づいた。するとそのイダキをもった男性の奥さんらしき人が「写真とってくれるよ」と声をかけて家族写真ができあがった。思わず手がふるえた。

(3)グリーンアンツの復讐

 2日目のイダキマスタークラスはジャルーとミルカイとともに森へ行き、イダキカッティングへ。実は体験した人にしかわからないのだが、森を歩くということは本当はかなり大変なことだ。イダキを切ったり運んだりするので服は汚れるし、人間に害を与える生き物も多い。特に気をつけなくてはいけないのはグリーンアンツである。グリーンアンツはお尻が緑色の蟻で、森の草の中に葉っぱでできた巣がある。それにふれるとたちまちグリーンアンツの攻撃にある。特に毒があるわけではないが、かまれるとそれは痛い。だから森に入るときは靴と靴下をはき、長袖長ズボンのほうがいい。ただズボンの中にグリーンアンツが入ってしまうとそれはそれで悲劇なのだが。

 今年は万全で備えた。虫除けもした。実はこのグリーンアンツ、お尻の部分にビタミンCが豊富でレモンのようにすっぱい。それをほかの参加者に教えようと、グリーンアンツを捕まえてお尻の部分をもぎ取って食べさせたりした。きっとこれが悲劇の始まりだったのだろう。何本かのイダキをジャルーが切り終え、車の方向へ向かい始めたとき、一瞬首の後ろがちくっとした。なにが起こったのかよくわからない中で、体をみるとグリーンアンツが数匹服の上を歩いている。しまった。グリーンアンツの巣にふれてしまったようだ。そう思った瞬間目に何かが入る。痛っ、痛っ、痛っっ。目の中になにが虫が入ったのがわかった。痛みに耐えて取り出すと、牙をむき出しにしたグリーンアンツが死んでいる。おいおい、まじかよ。グリーンアンツに目を噛まれたっ!もうそれは本当に痛かった。しばらく噛まれた左目をあけることができず、その後、汚れた手でこすってしまったのがよくなかったのか、3日間目に違和感が続いた。もう二度とグリーンアンツには近づかないようにしよう。そう心に誓った。

(4)イダキマスタークラスでの教え

3日目はようやくイダキの吹き方レッスンがはじまる。舌を多用する伝統的なヨルングの奏法では基本音を正確に出すのでさえ苦労する。6回目の参加の今回でさえ、まだまだ練習が必要だと感じた。ほかのヨーロッパからの参加者は相当とまどっていたようだ。たとえば
DiptirrkとかDorrkとか最初はどうやっていいかわからない人が多い。これらの発音はすべて言語からきていて、言語を正確に発音できないと難しいのだ。たかが伝統奏法、されど伝統奏法。ただ単に楽器のテクニックを勉強するだけでなく言語も勉強する必要がある。初日の午前中には言語の発音講座などもあり、大いに役立った。それから今回特にうれしかったのが、具体的にジャルーやミルカイが曲を教えてくれたところだろう。ジャルーは西風、東風、イルカ、ストリンギーバーク、カンガルーなどの曲を次から次へとデモンストレーションしてくれたし、ミルカイはディンゴと木の曲を具体的にアルファベットを使って書き記して教えてくれた。それらは基本音の練習にもなる。

(5)ヌンブルワの青年との再会

Red Flag Dancers from Numbulwar

 3日目の夜、トイレへ行こうと緑色の建物へ向かって歩いていると。アボリジニの青年が声をかけてきた。彼はまだ10代後半だろうか、年下の少年2人をつれて近づいてきた。「覚えているかい?2年前あったレッドフラッグだよ」最初なにをいっているのかわからなかったのだが、2度3度話していてようやくわかった。2年前日本人グループがテントを張っていた場所のすぐ隣に泊まっていたヌンブルワの人たちとの交流があったのは2002年の報告記に記したとおりだ。その時にきていた少年の一人だ。「あ~っ!あの時のっ!!」いっぺんに思い出した。確か彼とは最後の日に私にブングル初体験をくれた一人だと思う。しばらくはなした後「あえてうれしいよ」といって別れた。彼に会えてよかったそう思った。4日目の夜、夕食の後テントで写真の整理をしていた。するとライブが始まるはずの会場からブングルの音と人々の歓声が聞こえてきた。あわてて会場へ行くと会場中に大きな人だかりができている。確かブングルは終わったはずなのに。そう思って走っていくとヌンブルワの踊りが行われていた。1曲、1曲、何人かがすばらしい踊りを披露する。女性の踊りが始まると、グマチの女性が立ち上がって踊り出す。ヌンブルワの女性とグマチの女性が向かい合って踊り出す。女性の踊りはうつむいて踊るのが一般的だ。目を合わせない。でも何かを語り合っているかのように踊っている。曲が終わると抱き合って喜び合う。こんな場面に立ち会えた自分は本当に幸せだと思う。ヌンブルワの踊りはグマチやガルプの人たちも大好きだと昔聞いたことがある。また曲が始まると今度はなんとジャルーの息子のバーノンが立ち上がってヌンブルワの踊りのポーズをする。そこへ同じぐらいの年頃の少年が近づき向かい合って踊り出す。まるで昔の侍の戦いのようだ。砂を足でかけあげるシーンではバーノンは超高速で足を動かす。曲の決めのポーズの後、ヨルングからもバランダからも大歓声があがる。こういうブングルもいいものだ。ブングルが終わった後、あの青年を探した。皆赤いナガをつけているのに彼だけ青いパンツをはいていたのですぐわかった。駆け寄ると彼は皆にこういった。「おれの日本からきた友達だよ。」本当にうれしかった。

(5)ついに語られ始めたイダキの真実

Copy Right DInkum Japan & Yothu Yindi Foundation

 3日目の朝、イダキマスタークラスはちょっと違った講義が行われた。4人のヨルングが集合する。一人は昔からよく見かけていた白髪の長い髪、長いひげ、そして指先のない手でつえをついた長老。それからこのガーマの主催者であるガルウィウィ・ユヌピング。その後継者と見られる若い男。それとジャルーである。イダキはヨルングが伝統的に使うディジュリドゥ。しかしそのイダキにもほかの呼び方がある。それが外部の人に話されはじめたのはつい最近のことだという。ジャルーのいるガルプではイダキをジュンギリングという。そしてグマチではダンビルピル、そしてグマチにはもう一つ大切なイダキがある。ダダラルというそのイダキは通常のものより短く、ひもでぐるぐる巻きに巻かれていて、そこから羽のついたひもが何本かぶら下がっている。それらは大きな祭りのたびに決められた人間によって作られ(それもダダラル本体を作る人と羽根飾りを作る人は違うそうだ)、誰か重要な人が亡くなったとき、皆に知らせるためだけに演奏される。それもトゥーツ(ホーンといわれる高い音)の長い音を2回続けて吹く。そしてその葬儀やブングルに集まった部族の代表者にいつまでも覚えていてほしいという意味を込めてプレゼントされる。このことをマライリングというそうだ。その一部の情報は今まで決して外部に知らされることがなかったことだそうだ。グパピュングのブングルといい、今年のガーマはもしかしてヨルングとバランダとの関係に大きな変化をもたらしたのかもしれない。

 4日目のブングルで、グパピョングの踊りに重なるように、グマチの踊りが森から入ってくる。そのときあのダラワルのトゥーツの音が響き渡る。ミルカイがその大役を果たす。会場を巡るように2回ずつダラワルが響き渡る。それは本当に神聖な儀式だ。そしてグマチとグパピョングがひとつになり、ガルウィウィからグパピョングの長老にダラワルが渡された・・・。

(6)帰っていくグパピョングの人たち

 5日目の午前中、イダキマスタークラスの最中に、4WDが1台クラクションを鳴らしながら会場に入ってくる。最初はなにが起こったのかわからなかった。レッスンをしていたジャルーもびっくりしていた。するとすぐにその理由がわかった。グパピュングの人たちが帰っていくのだ。ほかにバスと4WDが1台入ってきた。同じようにクラクションをならす。まだ会場にいる人たちが手を振る。車の中から手を振るのが見える。僕も手を振る。心の中で「ありがとう。またあいましょう。」とつぶやきながら・・・。そのクラクションの音は昨日のダダラルの音とだぶって聞こえた。

今回のガーマの体験したことはこれだけではない。あまりに多すぎて書ききれないのだ。それだけガーマでの体験は貴重なものだ。来年体験したい方は今のうちから少しずつお金を貯めて、有給休暇の根回しをしておくことをおすすめする。これ以上の体験が可能なヨルングのお祭りはガーマ以外に存在しないのだから。

(レポート:哲J)

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